東京最古の銭湯がねえ
いやあ、大きく出てましたなあ−−。
読売朝刊(3・14)の「とうきょう歴史散歩」のコーナーに「江戸っ子 ゆったり230年」の見出しとともに、東京最古のの銭湯が取り上げられていたんですな。
アタシャ、以前から江戸川区の葛西地区に江戸から続く銭湯があるとは聞いていたんだが、今日の新聞を見てその古い歴史に改めて驚き感心したんです。どうも勉強不足でしたよ。そこで今日のブログにはこの銭湯についてちょいと調べて書いてみようかなと思ったんですわ。登場する浴場は江戸川区船堀にある「あけぼの湯」なんです。
アタシの脇には例によってアタシら湯屋モンにとってバイブル的な「公衆浴場史」が置いてある。記事の中央にホラ貝を吹いている18代目ご当主・嶋田さんの大きな写真が掲載されていましたが、まずはこのホラ貝についてこう書いてある。
「嶋田さんの元には、歴史を感じさせる様々なものが残されている。江戸〜明治にかけて使われたホラ貝もその一つ。開店時や店がすいている時に吹き鳴らした。店によって異なる音色だったため、客は音色を聞いてどこの銭湯かを判断して出かける際の参考にしたという……」
さらに公衆浴場史には、江戸の朝湯は午前5時・6時頃開湯したが、ここでもホラ貝を吹いて湯のわいた時刻に
「わいた、わいた」
と知らせた、などとも書いてある。
そして「あけぼの湯」の創業だが、なんと安永2年(1773)だという。アンエイなんていわれてアンタ、ピンとくるかい?。アタシにゃあ見当もつかないよ。そこでまた公衆浴場史だ。この本には「浴場史略年表」がついていてね、天平5年頃(737)からの「湯」に関する事項が記載されているんだが、最初のほうは「僧侶の読経に清浄沐浴」や「光明皇后の法華寺の施浴」の事柄などが目につくものの銭湯に関する事項はどこにも見あたらない。
そんな中で建保1年(1213)に町湯の記事がわずかに散見される程度だ。この町湯はおそらく関西方面のことなんであろう。奈良・京都には800年も前に銭湯の名前を使った町湯があったと聞くから、その後に見られる五木湯、念仏湯の名前ももちろん地方のものなんであろうと思われる。
江戸の銭湯はもう何回となく書いたけど、天正19年(1591)に伊勢の与市なる人が銭瓶橋に銭湯風呂を始めたのが最初とされているが「あけぼの湯」ができたのはそれから182年後なんだよねえ。その間、慶長年間(1614) 銭湯がどんどん増え、当時は混浴の時代だったとみえ男女風呂が大繁盛したとも書いてある。
さらに明暦2年(1656)には市中に200軒余にもなっていたというから「あけぼの湯」が創業した1700年代にはもうかなり銭湯があったんだねえ。その後明治12年(1879)には1051軒にも増えていたという。まさに銭湯隆盛の階段を駆け上がっていったんだ。それに比べて平成の銭湯、現在950軒だもんねえ。隔世の感だなあ。
さて、アタシね平成17年に墨田・江東・足立・葛飾・江戸川の城東地区300軒における「40年記念誌」を手掛けたことがあるんだけど、その時にね各浴場の名簿とともに創業年月を記入してもらったんだ。今、その名簿を眺めているが、さすがに江戸は「あけぼの湯」とその支店である「乙女湯」だけである。
そして明治が1軒。わが墨田にある「弁天湯」が明治15年で126年前だな。大正は6軒と思ったより少なく、後は昭和であり、昭和も戦前つまり20年以前は23軒となっていて、戦後の浴場復興時期にいかに銭湯が増えたかがよ〜く分かる。
もっとも調査に対して記入が戦災で焼失したために戦後復興した浴場が創業を戦後とした傾向もあるようだが。なんにしても「あけぼの湯」の創業203年とはまさにスゴイの一言だ。
ジャイアンツの長嶋がその引退のときに「わが巨人軍は永久に不滅です」とやったが、「あけぼの湯」さんが今後ともノレンを守り続け「わが銭湯は永久に不滅」であってほしいねえ−−。






