風呂屋のオヤジの番台ブログ

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2007年02月28日

銭湯の燃料はねえ

「お風呂屋さんの燃料は冬と夏じゃどっちが使うの?」と、フロントへ聞いてきたのは80近いダンナ。この方、その昔に知り合いが銭湯をやっていたといい、時折、アタシに銭湯の話を投げかけてくるんだ。

「夏と冬の燃料?、そりゃあもう冬のほうがはるかに多く必要なんですよ」

「そう、なんで冬は多いのかねえ。寒いから使うのかな?」

「まあ冬は水も冷たいし、寒さは全体的に風呂の沸き方も違うしねえ」

「そう。ところで昔はさあ、お風呂屋さんは大きな大八車みたいなもので燃料を運んだりしていたもんねえ」

 話がちょいと変わってきましたな。

「ええ、昔は雑燃専用だったから大きな手車を引っ張って薪などの廃材集めが風呂屋の主な仕事だったんですよ。お客さんはノレンさえ出せばワンサカ入った時代だけど燃料難で、燃料を集めるのが最大の企業努力でしたねえ」

「あたしの知り合いのお風呂屋も朝から燃料取りに真っ黒になって働いていたっけなあ。ところでお宅は今はガスなんだって?。煙突がないもんねえ」

「ええ、オールガス化にしたんで煙突もいらないんですよ。アタシがガスにした当時は都内で1600軒の風呂屋があったんだけど、ガスの浴場は10軒もなかったんですよね。今は簡単に風呂釜に取りつけられるガスバーナーが開発されて全都で100軒以上はあるんじゃないですかねえ」

「でも未だに薪を燃してる所もあるようだね。煙突から黒い煙がモクモクでてるもんねえ」

「まあ、燃料コストの問題でしょうが、廃材が余っている時代もあって薪を使ってる浴場が全体の3割ぐらいあるかなあ。後はガスが一部でほとんどA重油が主燃料になってますねえ」。

 次のお客さんが見えた。ダンナ「じゃまた…」とお帰りになったが−−。

 夏と冬では燃料が違うか?−−。ダンナの質問にアタシャその昔の燃料事情を改めて思い出してみた。雑燃料が主役だった時代は50年代に重油が60年代にガスが登場するまで英英と続いたのである。前述したような燃料難にあえぐ?銭湯は雑燃集めにそれこそ東奔西走したのである。集めてきた薪材は電動ノコギリで風呂釜にあわせた寸法に切り揃えその日に必要な量以外は全部貯蔵したのである。

 とにかく風呂屋の燃料消費量は夏と冬では格段に違ったのである。何しろ客数が多かった。冬場の寒さは夏場と同じ売上でも燃料は2倍近くも必要としたのである。しかし、寒さの薪屑などは一般でも使うため排出量が極端に少ないときている。入りが少なく出るほうが多かったのでは風呂釜は冷えてしまう。

 そこで冬場に備えて風呂屋の若い集は大車輪でストックに励んだのである。

 風呂屋の裏の空き地にそれこそ見上げるように薪の山を作るんだ。あまりに多く積み上げるため「そんなに高くしたら煙突が見えなくなっちゃうよ」と冷やかされたほどだったのである。

 しかし、こんなにセッセとストックしても春先になるときれいになくなってしまう。そこでまたまたセッセセッセが始まるということになる。風呂屋の若い衆はまるでイソップ物語に出てくる「蟻」のようなもんだった。今考えるとほんとによく働いたなあとしみじみ思い出すねえ。

 ところがこんなに働いた時代から重油、ガスが登場するや燃料の心配は皆無になり、特にガスの設備はスイッチ一つで湯が沸き風呂ができる。湯量から温度の調整まですべて機械がやってくれる。だから風呂屋のオヤジはちょっとした掃除以外、ほとんどやることがないからフロントでボケーッとしているのが仕事になっちまった。

 しかしなあ、セッセセッセの時代は働いただけの効果があったものの、燃料難から解放され体がラクになったら今度は実入りが思うに任せない。フロントでゼニ勘定をしてタメイキをついている。ホントウマクいかねえよなあ−−。

2007年02月26日

グレープフルーツの湯はねえ

 朝からやけに寒い日だ。天気予報は…じゃない気象情報では朝方が0・2度で日中は6度程度であろうという。もちろん今冬一番の寒さである。暖冬と言われてきただけに、家ん中にばっかりいるアタシなんだけど、それでも寒さを実感させられるねえ。

 アタシヤ年取ってきたせいかいつも家人より早く起きてしまうんだが、朝の寒さはこたえるねえ。で、何はともかくまず暖房を入れる。さらに小型のカーボンヒーターにもスイッチを入れるんだな。このヒーターは足温器の役も果たすんでね。そして朝刊を開きながらまずは一服だ。これがまたウマイんだよねえ。で、もう一本ってなアンバイになりかねないんだけどよくないよねえ。アタシャ血圧が高くてお医者に禁煙を強いられている身なんですわ。お医者さんが言うんだ「アンタねえ、いくらいい血圧の薬を飲んでいても、タバコをスパスパやっていたんではザルで水を掬うようなもんだ」とね。お言葉重々承知してるんですが、何せ意思が弱っくって困ったもんですわ。

 いけねえッ、時候の書き出しがいつの間にやら血圧の話になっちゃった。本題に入ろう。え〜と何を書くんだったけな。あっそうだ、今日は「すみだ家庭の日」だし、それにあわせて日曜日だから組合から購入した「グレープフルーツの湯」を行うんだ。そこでそいつを書こうと始まったんだよな。

 エッ「すみだ家庭の日」ってなんだって?。オヤッ、アンタ知らなかったの?。じゃ簡単に説明しよう。以前もこのブログで書いたことなんだけど、墨田区がね「明るく生き生きとした街づくり」の一環として毎月25日を「家庭の日」に定めたんだよね。月に一回、一家が揃って「家庭とは家族とは…」を考える団らんの一時を持とうっていう主旨なんですってさ。まあ近年、家庭内で考えられないような陰惨な事件が多発している世情から、改めて家族の絆を見直そうていうんだね。結構なことだと思うよ。アンタもさあ、酒ばっかり食らってないでたまにはカアチャンとのキズナを深める必要があるんじゃないの?

 ヘッ、カミさんとのキズナだって?、そんなもん改めて必要ねえやい。

 それでね、墨田区の多くの事業所もこの家庭の日の主旨に協賛していろんなサービスを始めたんだよね。浴場組合も今日は敬老入浴鉦を持っている人と同居している子供・孫は半額でお風呂を楽しんでもらおうっていう寸法なんだ。

 ま、半額入浴ではあるが「にこにこ入浴」の一つですな。それともう一つ、前述した「グレープフルーツの湯」も実施する予定なんだ。

 さ〜て開店。いつもの金曜日の敬老入浴デーに比して出足があまりよくないな。小半時、常連の70おばちゃんが湯上がりで出てきた。

「今日はいつもより空いてるわね」

「そうですね。金曜日と違って半額が掛かるからねえ」

「そのせいかな。だけどさあ、半額でこんないいお風呂に入れるんだからねえ。タダの金曜日は座るところがないくらい混むのに、ちょっとばかりお金が掛かるからってねえ。タダじゃなければ入らないなんてやあねえ」

「お客さんみたいな人が多いと風呂屋は有り難いけど、世間は厳しく世知辛いからねえ。しょうがないでしょう」

 というようなことだったが、夕方から家族連れや若い人がボチボチみえるようになってきた。ウン、日曜日らしくなってきたな。この分じゃ程々いけそうだな。

「グレープフルーツのお風呂を楽しみにしてきたの」という人もいたなあ。そこで「グレープフルーツの湯」だが、10センチ程のグレープフルーツを輪切りにして網に入れ湯に浮かせるんだが、淡いグリーンのエキスが匂いとともに広い浴槽に広がり、アタシが言うのもなんだけど「いい湯」なんだよねえ。当初、大したことがないだろうなと思っていたがうれしい誤算だったな。

 2・3人のおばちゃんが「匂いもいいし温まるし、いいわねえ。またやってよ」などと絶賛?してくれましたもんねえ。初の試みの「グレープフルーツの湯」がこんなに好評だったとはねえ。期待に応えてまたやるかな−−。

2007年02月23日

昭和20年代の銭湯はねえ

 家の者がパソコンで古い「さくら湯」の絵を描いたんだ。新聞紙半分程度の大きさでカラーである。アタシャ、パソコンをやらないからどうやって描いたのかよくわからんが、キレイに描けてんだよねえ。古い写真を参考にしたというんだがキレイ過ぎるくらいである。そこでその絵をロビーの壁に架けてみたんだ。「昭和40年のさくら湯」という説明を付けてね。ついでに「創業・昭和27年」という但し書きも添えてね。これが湯上がりでくつろぐお客さんの目に止まり程々話題になるんですなあ。

 今日も絵の前に立って眺めていた中年の男性がアタシに聞いてきた。

「随分立派な建物だねえ。昭和40年かあ。当時はこんなお風呂屋さんが多かったんでしょうねえ」

「そうね、だけど戦後の建物は戦前と比べるとどちらかといえば簡略にできているけど、戦前に建てられた浴場は宮造りといって豪壮な建物が多かったんだよね」

「そうですかあ。そういえば時々お寺みたいな立派なお風呂屋さんがありますよね」

「そう。関東大震災以降に銭湯の建物に宮造りという建築が流行って、宮大工さんじゃなければ造れなかったんだよね。だけどほとんどが戦争で焼けてしまって残っているのはごく少ないな。墨田区には京島の曳舟湯が昭和6年に造られたもんで、立派な外見だよね」

 アタシャ、例によってちょいと知ったかぶる。お客さん「そうですかあ」と感心したように聞いてくれるんだな。そして続けられた。

「オヤジさんのところは昭和27年に創業して40年に建て替えて、そうすっと今のこのビルはいつ建てたんですか?」

「この風呂屋は平成元年」

「そう、じゃ20年に2軒も建てたんですかあ。すごいねえ」

「だからもうゼニがなくて年中ピイピイ。借金だけでフウフウ云ってるよ」

 お客さん、大変ですねえといった顔付をされた。そしてさらに聞いてくる。

「創業したという昭和27年頃はお客さんも混んだらしいねえ」

「そう、イモ洗いのゴッタ返しってやつだったなあ。何しろ一日1000人も入ったんだからねえ。当時は内風呂なんか上流階層だけしかなかったから、銭湯が一般庶民の生活の中にどっしり入っていたんだよね。もうお湯があればお客さんはそれだけで満足だった時代だからねえ。とにかく混みに混んだよ」

「一日1000人ですかあ。今なら入り切らないでしょうねえ。現在はどのくらい入るんですか?」

 オヤオヤお客さん、風呂屋の内情にも話が入ってきましたな。

「そうねえ、現在の東京都の平均が130人以下なんて言う数字も出てるから、そうさなあ、多い風呂屋で150から180ぐらいかねえ。時として200人も入ればもうオンの字だろうねえ」

「そう。一日150人で大人430円を掛けるると……」

 モシモシあんまり詮索しないでよ。昔のよき時代を知ってる人間には滅入っちゃうからねえ。

「いろいろ聞かせてもらってスイマセンでした。今は何商売でも厳しい時代ですよねえ」と言いながらお客さんお帰りになったんである。

 さて、昭和20年代に連日1000人の客が集まった時代には前述したように内風呂なんかほとんどなかったが、しかし、日本が高度成長で裕福な階段を駆け上がっていくに従い自家風呂が増えてきた。それとともに銭湯の利用者も当然減少してくる。平成の今日では自家風呂保有率が95%を越しているんだな。そんな中で銭湯が生き残るには従来の自家風呂代行業的なアキナイから脱しなければならない。風呂屋のオヤジは自家風呂に勝る価値観の構築に走り出したんだ。広い空間と豊富な湯量から設備・サービスを充実するとともに、湯の楽しさを売る施設として邁進したんだ。お陰様で現在のお客さんの6割余が内風呂をお持ちなんである。そして皆さん「銭湯はいいなあ」と異口同音に言ってくれるんだ。アタシャ、現在はもう内風呂の有無に関係ない−−そう思っている。銭湯を知らずに育った若い世代が折りに触れて姿を見せ、楽しそうに湯を満喫している姿を見ると、銭湯にも新しい息吹を感じるんだが−−。

2007年02月21日

どすこいかわら版2

 開店早々、一見さんらしい男性が入ってきた。70半ばぐらいかなあ。

 ニコニコしながらフロント前へ来るや

「オヤジさん、名文見たよ。うまい文書だねえ」

「名文?……」

「そッ、ホラどすこいかわら版に書いてるやつよ」

「あああれね」

「江戸の銭湯の始まりがゼニカメバシが最初だったっていうのよ。うまいねえ、名文だねえ」

 名文を連発されると何にやらおもわゆい、恐縮もしてしまう。しかしねえ、大げさだよと思う反面、嬉しくもなっちまうからゲンキンなもんだ。

「どすこいかわら版」ってね、以前このブログでも紹介したけど、ここでもう一度おさらいすると、墨田区の高齢者福祉課内に「て−ねんどすこい倶楽部」という組織があるんですな、会社が定年になったり子育てが済んだ人たちのセカンドライフを応援しようと様々な計画を行っているんですね。その中にシニア向けの月刊で発行している情報紙が「どすこいかわら版」ていうことなんです。昨年、その情報紙の「お風呂屋さん訪問」という企画で当湯(うち)が取り上げられたんですが、それからの縁で時折、どすこい倶楽部の方々とお話をするようになり、アタシが浴場業界に古くからウゴメキ、業界紙に駄文を弄していることを御存じとなったんですな。そこでね……どうも話が回りくどいな、端的にいこう。

 つまりね、アタシにもその「かわら版」に何か書かないかという話がきたんですわ。で、アタシごときでよかったらと、1月号に「風呂屋のオヤジの独り言」という題で第1回が載ったっていうわけなんです。

 ちょいと解説で横道に逸れたけど、お客さんはニコニコと話を続けられる。

「1月号にさ、これからもシリーズとして掲載されるって書いてあったんで、俺、楽しみにしていたんだけど2月号には出てなかったんだねえ」

「そうですねえ、一応、今後も載せるから書いてくれって言われたんで原稿を2本ばかり渡しておいたんだけど、かわら版はA4の4ページほどだから編集の都合で載せるスペースがなかったんでしょうなあ。今度載ったらまた読んでくださいよね」

 ということでお客さんは脱衣場へ向かわれたんである。この方、聞けば当湯(うち)から数町も離れたところよりわざわざお出でになってくれたんだ。

 かわら版の話をするために遠路を来てくれたんですかなあ。とすれば?わずか900字ほどの短い文章なんだけどほどほど話題になり波及効果もあるんですなあ。

 さて、そこで不掲載のことだが、実はアタシも毎月15日に発行というんでどんな形で載っているかなあと当日は楽しみにしていたんですわ。お客さんにもそれなりにPRしちゃったしね。ところが届いた2月号にはどこにもアタシの形跡がない。ま、今言ったように編集の都合だろうけど、事前に何も聞かされていなかったんで少々残念ではありましたな。

 だけどさあ、グチになっちゃうけど本来なら当然不掲載の連絡があってしかるべきでしょうなあ。アタシが現在係わっている浴場広報紙「1010」や全国浴場新聞では打ち合わせで頻繁に連絡こそあっても音沙汰なく不掲載なんてまず考えられないよ。まあプロの編集者と「どすこい」のシロウトでボランティアの編集人の違いでしょうかなあ。それにしても一言ぐらい何かかあってもと思っちゃったなあ。事前に一言がありゃあ別に不掲載だからって、どうってこたあなかったんだけどね。

 エッ、なんだって?。外野はまた何か言いたそうだな。なになに?、第1回を載せてみたわいいが、あまりにツマランからこれで打ち切りだって?。オイオイ、名文だなんてお世辞を言ってくれたお人もいたんですぜ。悲しいことを言わないでよ。自信がなくなっちゃうなあ−−。

2007年02月19日

花も恥じらう

「今日ね、面白いことがあったのよ」と、フロントへ見えるなり切り出されたのは91歳になるというおばちゃん。91ですよ。しかしねこのおばちゃん、とても卒寿の高齢者には見えない。目も耳も全然衰えを感じさせない。そして何より頭がしっかりしていなさるんだ。ボケ的な老い傾向などアタシにはどこにも感じさせない人なんだ。だからいつも明るく振る舞われる。そういえば腰も曲がっていないな。この点は腰が曲がり気味で家人によく冷やかされるアタシよりも若々しいであろう。とにかく矍鑠(かくしゃく)そのもののおばちゃんなんである。羨ましいほどだ。

 以前、このブログにも登場願った人なんだが、当湯(うち)が好きで、内風呂など見向きもせず毎日のようにお見えになる。姪っこさんとお住いのようだが、見えるとフロントでささやかな近況報告をなさるのが楽しみのようでもある。

 今日も持ち前の若く明るい口調で「面白いこと」を話される。

「今日ね、姪っこと一緒に天神様へ梅を見にいったのよ」
「そりゃあよかったですねえ。梅はどうでした?」
「満開!。今年から白い梅が増えたようなのね。そして人でい〜っぱい」
「そうでしょうなあ、天気もよったしね」
「そしてね……」

 おばちゃん、ここからが面白かったのよとばかり、ちょっと一拍置かれた。アタシャ、続きはいかにと期待する。おばちゃん、この辺の呼吸は心得たもんだ。アタシの顔をあらためて眺め、ニコッとされながら続けられた。

「久しぶりに来たんだからくず餅でも食べていこうとF屋へ寄ったのよ。そしたらね、後からきた80過ぎくらいのおばちゃんが、ほかに席が空いてるのにあたしの隣に座ったのよ」

 おばちゃん、思い出し笑いをしながら続ける。アタシャ、ホウホウとうなずいて聞いている。アタシもおばちゃん相手の呼吸は心得ている。次のお客さんが見えた。

「あらっ、もう上がったの?」
「ううん、今ダンナさんとちょっとお喋りをしてんの」
「そう、じゃあお先にね」

 後からのお客さんがさっさと入られたがおばちゃん意にかいしない。ここからが面白いのよとちょいと身を乗り出した感じである。

「そのおばちゃんがね、あたしの顔を見てお幾つですか?と聞いてきたのよ。あたしはさあ、すこし考えてねこう言ったの。あたしは花も恥じらう19歳ってね。そのおばちゃんもあたしの説明を聞いてちょっとあたしの顔を見たけどそれにしてはお若いですねえ、と言うのよ」。

「ホウ、そのお相手の方は、花も恥じらう19歳って分かったんですかなあ」
「さあ、分かったような分からないような顔をしていたけどねえ」。

 おばちゃん、さも面白かったように大笑いされた。さらに続けるんだ。

「そしたらね、あたしが花も恥じらうなんて言ったもんだから隣に座っていた姪っこがくず餅をたべながらプッと吹き出しちゃったのよ。プ〜ッとね。あたしも思わず笑っちゃたの」
「お相手のおばちゃん、そん時どんな顔をしていました?」
「しょうがないと思ったんでしょ。一緒に笑っていたわよ」

 ということで報告完了とばかり最後にもう一回「ああ面白かった」と言いながら弾んだような足取りで脱衣場へ向かわれたんである。

 おばちゃんの話はさりげないことでも明るく楽しそうである。そして、暗い話やグチやコボシ話がないのである。こんな性質がおばちゃんの性格が老けない一つの要因かもしれない。

 アタシャおばちゃんを見ているとしみじみ思うなあ。アタシもおばちゃんのように齢を重ねたいものだ。いつまでも明るさを失わないでいたいなあとね。

 おばちゃんさあ、これからも明るく面白い話を聞かせてよね。アタシはいつでも待ってるからね−−。

2007年02月18日

東京マラソンはねえ

「オヤジさん、東京マラソンを見た?」
「うん、ちょっとテレビでね」

 開店早々に見えた60ほどの男性。個人タクシーの運転手さんだという。

「俺ね、時間の都合がつかないんでビデオにとっておいたんだ」

「そう。3万人っていうんだから物凄い人数だったよねえ」

「参加費が一人1万円なんだってねえ。それが3万人だから参加費だけでも3億円?。これもスゴイねえ。帰って早速見なきゃあ」

 もうお一方いましたな。夕方来た40代の男性だが「朝、テレビをつけたら東京マラソンをやってんで、俺、雨ん中を雷門へ見にいったんだ。人でいっぱいさ。雨で寒いから先頭の方だけ見て帰ってきちゃった」

 今回初めて行われた東京都民マラソンだが、コースも都庁前をスタートして新宿・銀座・浅草など都内の観光地を走り東京ビッグサイトをゴールにした42・195キロだという。

 銭湯のお客さんが開店早々、話題にするほどだから大した人気だったなあ。かくいうアタシも有森裕子のラストランというんで、普段、あんまりテレビを見ないんだが、めずらしく朝っぱらからテレビ前に陣取ったよ。そこでレースの感想をアタシなりにちょっと書いてみよう。

 9時15分、石原知事の号砲一発スタートしたんだが、いやはや、その人数の多さにタマゲタねえ。ウンカのごとき大群……とはこのことを言うんだろうねえ。都庁前の道路いっぱいに押し合いへし合い動き出したが、招待選手をのぞいてこの大群衆が一人1万円を払ってるんだ、と思うとその人気のすさまじさに改めて感心?したなあ。申込人数が5万人だっていうから尚更だ。

 招待選手は早々と集団から抜け出したが、3億円の群集はお祭り気分で走っている。それぞれに思い思いのスタイルで楽しそうにやってるよ。中には阿波踊りのようにテケテケと踊りながら歩いている人?も見受けられたし、仮装ランナーも程々いたようだ。まさにマラソンというより東京カーニバルだな。

 5キロ過ぎると30人ほどが先頭集団を走り、後の3万人のお祭り集団ははるか遠くに置き去りでテレビにも入らなくなった。

 20キロ過からケニアのダニエル・ジェンカが抜け出し、25キロからはもう独走態勢である。日本期待の油谷繁は途中リタイアで姿を消してしまい、日本勢はジェンカの背中も見えない位置で佐藤と今船が競っている。もうこうなっちゃうとレースの興味は無くなってしまった。

 話題の有森裕子は中団グループで、沿道の有森コールににこやかに手を振って走っている。順位より記録より日本女子のマラソンのエースとして活躍した名選手が最後の走りを楽しんでいるようだ。

 ビッグサイトのゴールには石原知事と河野洋平陸連会長が出迎えていたが、ジェンカが2・9・45秒のタイムで飛び込み、日本の佐藤はそれから9分余も遅れてゴールにたどり着いたよ。大阪で行われる世界選手権の出場資格が2時間9分台と聞いていたから、この悪天候の中じゃしょうがねえなとは思うものの、ジェンカにぶっちぎられて情け無い感じもしたなあ。そして有森裕子の結果だが、2・52・45とかで女子の4位だそうな。沿道の声援に手を合わせ涙しながらのゴールは最高のラストランだったんじゃないか。

 夜遅くやってきた60半ばのメリヤス関係の男性が言う。

「東京マラソンはよかったねえ。俺も来年走りたくなったよ」

 この方ね、折りに触れて近くのK公園を走っている人である。この分じゃ、来年の参加希望者はさらに増えそうだな。何にしても今回初の大イベントは大成功だったようである。石原知事も大満足だったであろう。“大”づくしだ。

 ところでオヤジさんは走らないの?。アタシ?、アタシは腰が痛くて走るどころかもうもう歩くこともやっとですがな。しかしね体調さえよかたら、地元の雷門通りを疾走?したいんだけどねえ。ヘッ、ウソツケッ−−。

2007年02月16日

興味がねえ

 オヤッめずらしい。男の脱衣場から野球の話が聞こえてきたよ。最近はとんと野球談義は聞かなくなっていたが、テレビがプロ野球の球春を告げるキャンプ報道をやっているせいだな。話しているのは70年配の男性でご多分にもれずG党のようである。

「いよいよオープン戦が始まるな」
「オープン戦?」
「そう、だって巨人の紅白戦が始まったもん。開幕が4月早々だろ。今年のジャイアンツは期待していいんじゃないかなあ」
「そうなの。今年は強いの?」

 こちらはあまり野球に興味がなさそうに聞こえる。

 プロ野球の人気凋落が言われて久しい。巨人の低迷が続き、人気者のイチロー、松井に続き松坂、井川等々がどんどん海を渡っていってしまうし、今年の日本プロ野球は70年の歴史の興亡をかけたシーズンになりそうだな。

 今日のスポーツニュースのトップは「長嶋、巨人の宮崎キャンプ訪問」である。メディアはこぞってこの宮崎訪問を報じている。病に倒れマスコミの前に出る機会も極端に減ったんであろうが、その人気はいささかも衰えない。まさに終生ミスター巨人である。長嶋が現役引退の挨拶で「わが巨人軍は永久に不滅です」とやったが、長嶋人気も永久に不滅だよなあ。

 おそらくこんな野球人は今後とも、それこそ永久に現れまい。その現役時代から不変の人気について識者はいろいろと解説していたが、何か長嶋人気については理屈で割り切れないような気がするなあ。

 キャンプ地ではナインが整列するなかで終身監督から激励の言葉を賜った?らしいが、原監督を初めFAで今年から巨人のユニフォームを着た小笠原なんかも感激の言葉を述べていたもんなあ。もう長嶋は神格化されてるね。「長嶋礼賛」はすでに通り相場?になっているが長嶋批判はまず聞こえてこない。

 とまあ書いたんだが、今朝の新聞を見て、といっても例によっての週刊誌の見出しだが「長嶋茂雄70歳 豪邸ひとり暮らし。ミスター一家の悲しきタブ ー」の見出しが踊ってる?じゃないか。オンヤア!。こう書かれている「何で星野なんだ!、野球人生の最後の夢が絶たれた瞬間、長嶋茂雄は思わず語気を荒げた。その日、長嶋はコミッショナー事務局に電話して凄い剣幕で怒った。

 2004年3月に脳梗塞で倒れて以来、1000日に及ぶ苦しいリハビリ。すべては北京五輪で日本代表監督を務めるためだった」。そして、そしてだ「現在、落胆するミスターのそばに妻・亜希子さんの姿はない−−」ともね。

 所詮、週刊誌ネタだといってしまえばそうかもしれないが、しかし驚いたなあ。長嶋をほめることはあっても批判的な記事や語録にはお目にかかったことがないのに思い切って書いたもんだよねえ。

 先日の大相撲・朝青龍八百長疑惑にもビックリしたが、この記事にもタマゲタね。しかし、だからといって長嶋人気にはまったく影響はあるまい。

 さてさて、脱衣場のお二人の会話から話が進んで長嶋人気に触れてきたんだが、そのお二人がフロントへ出てきた。G党の人はそのままお帰りになったが野球に興味が無さそうなおヒトはフロントでちょいとひと喋り。やはり70年配である。

「オヤジさんは野球が詳しそうだけど、俺はあんまり興味がないんだよねえ」
「そう、しかし野球人気がなくなったよねえ。ちょうど相撲人気みたいだな。相撲は以前、若・貴時代なんかテレビで若・貴が勝った負けたで脱衣場がワーッツと沸いたほどだったもんねえ」
「そうなの。ワカタカって若ノ花と栃…なんだったっけ?」

 ヤだねえお客さん。若・貴って若乃花・貴之花のことよ。若ノ花と栃錦時代は栃・若時代でもう随分と古い話さ。

 どうもこのヒト、野球にも相撲にも興味が無さそうだ。

「アンタ好きななものは何なの?」
「俺?。俺はパチンコ。パチンコなら詳しいよ」

 パチンコかあ。ま、なんであれ好きなものがあるっていいことさ。そのうちパチンコのノウハウを語ってよね。アタシャ、パチンコには興味がないんだけどさ−−。

2007年02月14日

バレンタインってねえ

 2月14日、テレビがバレンタインの商戦を報じている。デパートなどのチョコレート売り場には行列ができている。毎年チョコレートが飛び交う賑やかな一日のようだ。

 そんなところへ中年の常連さんがやってきた。電気工事の仕事をしているそうだが独身のようである。テレビをチラッと眺め、ちょいと言う。

「なんでバレンタインでチョコレートをやんなきゃいけないんだ。菓子屋に踊らされているんだよなあ。バカバカしい話だと思うけどねえ」

「アンタ、チョコおレートをもらった?」

「いや、そんな気の利いたやつなんかいやしないもん。だから余計つまんないんだ」

「そう、そりゃ残念!」

 確かにバレンタインっておかしな風習だよね。男性の言うとおり菓子屋の商戦にみ〜んな操られているといってもいいだろう。クリスマスにバレンタインそして一時はパリー祭なんて騒いだ時期もあったよねえ。クリスチャンでも何でもない人間が異国の宗教的行事にウツツを抜かす?、なんて考えりゃあホントヘンテコなことが流行ったもんだと思うねえ。

 そこでアタシャ、どうでもいいことだがバレンタインについてちょいと調べてみたんだ。そしてヘリクツをこねてみようとも思う次第さ。

−−聖バレンタインは269年頃、殉教死したローマの司祭で、2月14日は聖バレンタインの記念日−−となっている。だからどうなんだと思うが、さらにこの日に愛する人に(特に女性から男性に)贈り物をする。日本では1958年ごろより流行した。となっている。これだけじゃこんなに大騒ぎをする理由がさっぱりわからねえ。もう一回いうけど、ほんと、だからどうなんだと思うばかりだ。大体バレンタインってそんなに騒ぐ存在なのかねえ。ローマの司祭たってキリスト教の聖職の一つで、ローマ・カトリック教会では司教の下位にあって協会の儀式をつかさどる祭司−−だっていうから大したことはない地位だったんじゃねえの。アタシャ、宗教についてはまるっきりの門外漢で何〜にもわかんねえんだけど、アタシの乏しい頭で考えるとね、クリスマスはイエスキリストの降誕祭で、キリスト教の生みの親だっていうからその誕生日を記念するっていうのはアタシでも分からんではない。ただクリスチャンでも何でもない日本人がこぞってケーキを食うっていうのもヘンだけどねえ。ま、そのケーキがバレンタインのチョコレートになったんだろうがね。

 それにしても外国のお祭りに菓子を食うなんて誰が考えたのかねえ、そしてそれが国中を席巻するブームにしちゃったんだからまさにスゴイの一言だ。

 昔、そうバブルの全盛期の頃だと思うけど、クリスマスともなれば理由もなく猫も杓子も盛り場へ繰り出して酒杯をあげ「メリークリスマス!」とやってたよねえ。今思えば、何がクリスマスおめでとう、だったのかねえ。

 さらに酔っ払いが教会の前を通りかかって「あれっ、ここでもクリスマスをやってやがらあ」などという話も何かに書いてあったっけなあ。

 当時、うちのお客さんだったタクシーの運転手さんが「昨日、夜遅くなって乗せた客が、飲み過ぎて遅くなっちゃった。どっかにケーキを売ってる店が開いてないかなあ。手ぶらじゃ家へ帰れないんだよ、っていうから街中をぐるぐる回ってやっと一軒探したんだ」などと言ってたこともあったが、今と違って終夜営業の店も少なかった時代だから運転手さんも苦労しただろうねえ。

 何にしてもバレンタイン=チョコレート狂想曲は大げさだねえ。これでいいのかとも余計なことを思うけど、そんな中で、ただ一つ言えることはバレンタインの名を借りて普段お世話になっている人に女性から男性に贈り物をするっていう習慣は悪くなさそうだな。

 オンヤッ、散々バレンタインをこき下ろしていたオヤジがちょっぴりいいことも言うねえ。さては義理チョコの一個もありついたな。世間には物好きもいるからなあ。オイオイ−−。

2007年02月12日

風呂屋の休日ってねえ

「昨日、休みを忘れて来っちゃったんだよなあ。シャタ−が降りていたんで参ったよ。休みのポスターもちゃんと見てるつもりなんだけど、忘れちゃってつい足が向いちゃうんだ」

「そりゃあ悪かったねえ」。

 休日の翌日はかならず何人かのお客さんからこんな言葉を聞く。そして昨今「今日はやってますか?」という電話も掛かってくる。それだけ関心度が高くなっているんだなと有り難く思う。かって、そう昔の話だが一般庶民の家庭にはほとんど風呂のない時代、湯屋はめったに休業ができない商売だったんだ。

 何せ風呂屋が休んでしまったら一般のお客さんは入浴ができなくなる。

 アタシがこの稼業に入った頃の定休日は月に一回だったな。今でも覚えているけど毎月20日だった。しかしその貴重な休みでも営業中にできない掃除などをさせられたから休みは精々半日程度だった。最も世間も現在みたいに裕福じゃなかったから「働け働け」が当り前だったんだ。街の商店なんかもほとんど休まなかったようだ。営業時間も長かったしねえ。

 休日が増えたのは高度成長期頃からじゃないか。世間が週休を取り入れてきたし、商店も週休から祭日でさえ休むようになってきた。反面、近年はスーパー・コンビニなどの大型店舗は年中無休の終日営業も行われているから、若い購買層はこのような利便性を求めて大店舗に流れていく傾向のようでもある。

 風呂屋も時代の潮流から2回・3回と休日を増やし、今では6割近い浴場が週休を取り入れているんじゃないか。アタシらの小僧時代は、人様が休むときに頑張るのが湯屋だと言われて育ってきたから、まさに隔世である。

 さて当湯(うち)が月に定休を3回にしたのは昭和40年代頃だったかなあ。5日・15日・25日に定めたんだ。もう40年も続いているんだが、近年は5の日が休めなくもなっている。まず一つは現在の営業形態が日曜日を中心に1週間が回転していくような傾向になってきたので5の日が日曜・祭日になるとその前後に休日をずらすようになっているし、金曜日の敬老入浴が5の日に当たるとこれまた休めない。敬老入浴はやむを得ない事情以外は営業するという契約になっているんでね。さらに昨年から墨田区が毎月25日を「家庭の日」と設定し、区内の事業所でも様々なサービス制度を打ち出し「家庭の日」に協賛するようになっている。浴場組合もこの日は家族の半額入浴を実施することになり、ここでも25日が休めなくなっている。

 そんなことで折りに触れて休日の変更を余儀なくされ、脱衣場には毎月の定休日をポスターで掲示するんだが、お客さんは見るようでみない、あるいは見ても忘れてしまうっていうことなんで、冒頭のような会話になてしまうんですな。しかし時折、じ〜っとポスターを眺めているご老人がいる。無料の敬老入浴だけに見える方なんである。「お客さんさあ、金曜日は絶対に休みませんから休日ポスターーも関係ないんですよ」と思ってしまうが、常連さんがさして見ないで週一の方がじっくり確認している……おもしろいねえ。

 40代の独身男性がやってきた。「おや、今日は随分早いじゃない」「うん3連休だけど行くところもないし、競馬もパチンコもさっぱりだから、風呂へ入るだけしか楽しみがないよ。休みが多いっていうのはどうもなあ」

 続いては50代で工場のパート勤務をしているという人。「アンタも3連休なの?」「そうっ、だけど休みが多いと金も入ってこないしねえ、ゼニがないんじゃ連休なんかツマンナイよ」

 そうかと思えばレジャーだ温泉だなどと豪華に過ごす人たちもいる。ほんとに世間は様々ですなあ。

 何?、オヤジが連休だったらどうするって?。そうさなあ、アタシャもう年だから今更遠くへ出かけるという気もないし、やることもねえなあ。ま、連休なんか退屈なだけだから休まないでフロントに座ってアンタたちとダベッテいるのが一番かな。考えりゃ侘びしいねえ−−。

2007年02月04日

芸者ってねえ

 毎日見える30半ばのご夫婦に6才の男の子。雨が降っても風が吹いても3人で顔を見せてくれる常連さんだが、今日はお母さんと男の子だけでやってきた。

「オヤ、お父さんは?」

「パパは今日飲み会で遅くなるんだって」

「ホウ、飲み会?、そりゃあいいね」。という会話が今日のイントロ。

 それから30分ほど遅れてお父さんが見えたんだが、一足早くあがってきたお母さんにアタシャ一言。

「さっきお父さんが入ったよ。もうすぐ出てくると思うからちょっと待っていたら?」

「そう、案外早く帰ってきたのね」

 そして間もなく予定通り?お父さんが出てきた。

 この若いご夫婦ね、お父さんは真面目そうなおとなしい男性だが、奥さんは明るく何ともユーモラスであり、まことに対照的なお二人だがとてもいい感じである。そして子供は奥さんに似たのか活発な性格なんだな。

 さて、フロント前に家族が揃ったところでアタシがお父さんに話しかける。

「今日は飲み会だったんだって?。いいねえ、で、どこでやったの?」

「ウン、向島のMっていう料理屋さん」

「M?、料亭じゃないか。いい所でやったんだねえ」

「そうですか。会社の人に連れられていったんだけど」

 実はアタシも業界の仲間と「うまいものを食う会」という懇親会をやっていてね、不景気でゼニもないくせに折りに触れて分不相応な料亭などで会合をもつことがあるんだ。向島や浅草の三業もご多分にもれず不況のあおりで、かっての一流といわれた料亭などが比較的安価な費用で宴席に解放してるんだな。

 超一級といわれた浅草のFの女将が言ってたよ「以前は会社の接待などで頻繁に使ってくれたんだが、今はもうほとんど使わなくなったし、政治家のセンセイもお金がないのか顔を見せなくなった。ヤクザも使わなくなったのよ。だからもう一見さんお断りなんていうことをやっていられる時代じゃなくなったし、一般の人にも使ってもらおうとランチタイムもやってんの」

 というようなことで、その昔ならとても敷居が高かった料亭がアタシらごときでも時々は利用できるようになったんだよね。

 さてさてまた話を戻そう。

「向島のMでやったんなら芸者も呼んだんだね」

「ウン、おばちゃんのような人と若い女の子が2人ほど」

「じゃ、猫は入んなかったんだ」

「猫?……」

「三味線のことよ」

「三味線はなかったけど女の子がどんどんお酌をしてくれるんだ」

「じゃコンパニオンを入れたんだね。芸者ってね地方(じかた)と立方(たちかた)って いう組み合わせでね、地方は三味線を弾く人で姐さん株でね、立方は踊る人っていうんだ」

 アタシャ若い人に芸者の講釈を始めたよ。と言ったって、アタシだってろくすっぽ芸者遊びなどしたことがないんだからいい加減なもんさ。

 アタシが知りもしない芸者談義?をしているとそれまで黙っていた奥さんがちょいと口を開いた。

「パパたちの宴会ならあたしだって芸者で出られるわよ着物を着てさあ、そう名前はヒヤ奴がいいわ。あたしの名前はヒヤ奴……」

「ウッホッ、ヒヤ奴かあ、そりゃいいや。うまいうまいッ。そうすっとアタシらの宴会はフロ奴にオケ奴だな」

 大笑いである。

 それにしても芸者の話が出たら即座に「ヒヤ奴」などというジョークを繰り出せる奥さんのしゃれ気・ユーモアっていいねえ。アタシャこういうセンスって好きだなあ。お父さんもニヤリとしていたが、子供はつまんなそうな顔をしていたよ。へんな話でいつも主役になるボクの出番がなくてゴメンネ。

「さ〜て、帰りましょう。お休みなさい!」

「お休みなさい、有難うございました。ボク、バイバイ!」

 明日また待っていますからね、ヒヤ奴の姐さんご一行サマ−−。

2007年02月02日

敬語はねえ

 夕飯タイムでフロントから住まいへ戻り、いつものように夕刊を開いた。この頃は陰惨な事件・事故のニュースが氾濫しているのでどうもじっくり読む気がしないんだが、今日はオヤッ?という記事が目に入ってきた。一見固いニュースなんだけどアタシにとってはちょいと興味があることなんで、よしッ今日のブログはこれにしようと決めたんだ。そこでまずは記事から−−。

「敬語5分類に細分化・丁寧語、美化語新設」の見出しでこう書いてある。

−−文部化学省の諮問機関・文化審議会は2日、これまでの3分類から5分類に細分化することを柱とした「敬語の指針」をまとめ答申した……専門家からは詳しすぎてかえって難しくなったとの指摘も出ている……と述べられているんだ。固いことは得手じゃないから省くけど、つまり、従来は「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の3分類だったが、答申は「謙譲語」を「丁寧語」と「美化語」に増やしたってんだ。しかしここまでなら専門家でもない一介の風呂屋のオヤジにゃあ別にどうってこたあない。だからどうした、という程度のもんだが、アタシが興味を引いたのは枠内に書かれていた敬語の事例についてなんだ。

「尊敬語は相手を敬って述べる」「謙譲語は相手を立てて述べる・自分のことを控え目に表す」「丁寧語は、です・ます、で相手に丁寧に述べる」と書かれている次に、同じ丁寧語に、お酒・お米の例を挙げ美化語であるっていうんだな。お酒、お米が美化語ねえ。ここでアタシがオンヤ?となったんだよ。

 実は以前「全国浴場新聞」のコラムにこの手の話を書いたことがあるんで、それを思い出して「そうだ、またここで今回決まった丁寧語とやらについてゴタクを並べてみようかな」と思い、古い全浴新聞を引っ張りだしてきたんだ。こんな内容だけど、ツマラン顔をしないで、まあ読んでよね。

 ある時、家人が食事時に料理番組を見ていたんだ。アタシも一緒に飯を食いながら漫然と眺めていたんだけど、テレビの料理人が「このお野菜にこのおダシを入れて……」とやっていたんだな。アタシャこれを聞いて、丁寧の表現だなんて思わず「なんで野菜に『お』をつけるんだ。女性じゃあるまいし食い物にいちいち『お』をつける必要なんかあんのかよォ」と嘆き?、その昔、落語家だったかが「世の奥さん方がお大根・お人参などとやたらに『お』をつけるけど、じゃあナラ漬にも『お』をつけてみな」と話していたがホントだよな。

 大体ね、お野菜でも、前述したお大根・お人参におナスなどなどには『お』をつけるものの、おホウレンソウ・おサヤエンドウ・おコマツナなどとは言わねえようだし、ジャガイモ・サツマイモなどは勝手に縮めておジャガ・おサツなどと呼んでいる。これはもう完全に女性言葉じゃねえの。いい男がお大根、お人参な〜んて言うかい?。

 そしてね、お魚・お肉なども総称は『お』をつけるくせに固有名詞はみ〜んな呼び捨てだ。お野菜=お大根という流れから言えばお魚ときてお平目・お鯛におマグロ……となるのがスジだろうし、お肉ならお牛、お豚にお鯨といっても悪くないハズだよな。『お』言葉ってわかんなくなっちゃうよ。

「高橋義孝著・叱言・たわごと独り言」の中に「これでいいのか国語の現状の項で尊敬語の誤用に触れた後、逆に尊敬語の乱用も見られる。つまりやたらに丁寧語の接頭詞『お』をつける。おトイレ、おジュースなどがそれで、どう考えてもこれは『お』の乱用である……」などと書かれていたし、さらに山本夏彦箴言集」では「大正デモクラシーの産物は当時の婦人がお肉・お葱・おじゃがなどと猫撫で声を出した。それが高じたのが戦後のお絵書きの類である…」

 辛辣な山本さんは女性の『お』言葉を猫撫で声と断じているよ。

 いかがですかな、風呂屋のオヤジの「たわ言」は?。エッ、ヘリクツだって?。そうかなあ。やっぱり『お』言葉ば丁寧語なのかねえ。

「いらっしゃいませ。お一人様430円でございます。ハア、おジュースもですか?。そのお飲み物はたいへん栄養によろしいようでございます。ごゆっくりご入浴なさってくださいまし」。気色悪いよォ風呂屋のオヤジィ−−。






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