風呂屋のオヤジの番台ブログ

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2006年12月30日

銭湯の年末年始

『大晦日・午後3時半〜午前1時、元日・休業、2日・朝湯 午前8時〜午後 1時、3日・休業、4日より平常営業』。10日ほど前から恒例の年末年始の日程を張り出した。

 ここ十年来、変わらぬ営業形態である。

「毎年、同じだね。それにしてもお風呂屋さんは正月休みなんかないねえ」。

「そう、風呂屋はお盆も正月もないよ。年中無休みたいなもんさ。アンタ、仕事は今日まで?」

「そう。正月は5日から。だけど休みはいいんだけどさ、俺らみたいな日給は休みが多くたってそれだけ金がもらえないから善し悪しさ。

 正月でも金がないから何しようかって考えてるよ」

 というのは50前後の工員さん。独身である。ちょっと侘びしい。

 続いてはやはり独り者の男性。こちらは電気関係の会社で働いているらしいが40半ばになるかな。アタシが「正月は田舎へでも行くの?」と聞いたら「ウン、行きたいんだけどこれがねえ」と親指と人差指で○をつくった。

 もうひと方独身さんを紹介しよう。こちらも40代の女性である。3日ほど前に入浴後「良いお年を……」と言われたんだ。で、アタシャ「まだ早いんじゃないの」と申し上げたらこう返されたよ。「あたし、明日から8連休で友達とバリ島へ行ってくるの」

「ウッホッ、そりゃあスゴイ。じゃ気を付けて、いいお年を」となったんである。

 世間は8連休だ、外国だと豪勢な新春を過ごされる方に、ゼニがないからって正月を持て余すお人もいる。様々ですなあ。

 それにしても風呂屋の正月はお江戸の昔からせわしないものでしたよ。近年は、各浴場でそれぞれに日程を調整しそれなりに休暇らしきものをとっているが、アタシャ冒頭の年末年始をン十年もやってるよ。そして思うんだよな。

「これでも昔からみたら随分とラクになってんだよなあ」とね。

 そこで、例によって「その昔」だが、もう半世紀前、アタシの小僧時代は

『大晦日・正午〜午前3時。元日・休業。2日、3日・朝湯、午前6時〜午後4時』が組合の決めごとだったが、決めごとなんか全然守られない。大晦日は仕事が終わる頃には元日の朝刊が届いていたし、2日、3日の朝湯は午前6時から仕舞掃除が済むのは午後の8時頃だったんだ。休日は月に1回だしね。まあそれだけ客も入ったが、ホントよう働いたなあと自分ながら感心するねえ。

 ところが、そんなに働いた湯屋稼業だったが、昭和40年代に大阪万博を皮切りにして高度成長期に入り世間がどんどん裕福になった。言われるところの「一億総中流」だ。それまで休日も少なく長時間の商売だった町の商店などが従業員の確保という側面もあって営業時間の短縮、週休に正月の連休という形を取り入れてきたんだ。このような時代の変遷に浴場組合でも「せめて正月ぐらい従業員・家族のためにも休めないものか」という議論が起きてきた。そして実際に正月3ケ日を連休する浴場が年々増えてきたのである。

 しかし、地域に密着する公衆浴場が、たとえ正月だとはいえ一斉に連休することは町の人たちに大きな波紋を投げかける。当然監督官庁の東京都も問題視するようになり、昭和50年、「正月3ケ日のうち1日は営業してほしい。そのために朝湯奨励金として1浴場3万円を支給する」ということになったんである。東京都が奨励金を出してまで「都民にために営業してほしい」と言われれば都民・利用者あっての風呂屋である。イヤとは言えるわけがない。以来、正月の連休はなくなり元日・休業、2日・朝湯、3日・休業という飛び石型と元日・2日が連休で3日・営業という2種類の営業形態になったのである。

 この営業形式は平成になっても続いているが、近年は厳しい業界事情を反映して2日・3日は連続朝湯という浴場も多くなっている。さらには元日から無休という浴場もある。奨励金は1円も出ないのにである。

 人並に休みたがるのは、多少なりとも余裕があるからだとしみじみ思う。

 さ〜てまた新しい年がくる。新春を「また…」と書くのも歳のせいか−−。

2006年12月28日

もう幾つ寝ると

 29日−−今年も後2日である。しかし「押しつまったなあ」という年末の感じはしない。街も師走の慌ただしさがない。うちの周囲の商店街も恒例「年末大売出し」をやってはいるんだが、人の出も少なく活気がないようだ。

 街が年々様変わりをしていく。当湯(うち)の前の総菜屋さんが今年いっぱいで廃業するというし、数軒先にあった八百屋さんも数カ月前からマンションに建て替えをするというので今は更地になっている。八百屋さん魚屋さん肉屋さんなどなど商店が軒を連ねて景気のいい売り声を上げていたのはいつ頃迄だっただろうか。買い物客が道路に溢れていた頃が遠い昔のようにさえ思われる。

 商店街の衰退は全国的の問題になっているようだが、盛り場を中心にスーパー・コンビニ等々の大店舗がどんどん建って、今の若いマンション族と言われる人たちは小さな商店には目を向けようとしなくなったようだ。

 街が様変わりしている、いや衰退していくと言ったらいいかもしれない。空き地になるとその後にはかならずマンションが建つ。そして、もひとつ。墨田区の特色でもあった町工場も姿を消して久しい。メリヤス、メッキ工場など、墨田の地場産業も大きな世間の変化に押し流されてしまったようだ。マンションが林立し、大手企業が中小零細の商店・工場を飲み込んでいく構図に、これでいいのかなあ。下町の風情がなくなっていくなあ、と寂寥感さえ覚える。

 とまあ変わりゆく街の姿に何となくタメ息をついたんだが、わが銭湯もそんな変遷とは無縁ではない。かっては年末になると大晦日・31日を頂上として28・29・30日、7合目・8合目・9合目……と登って行くように日を追って混雑を呈したもんだった。街の工員さんたちが年末の大掃除を終わり、仕事了いで三三五五と銭湯へやってきた。銭湯に浸かって一年のアカを落とし、それから帰郷するなどという姿が多く見られたし、商店は大晦日の12時頃まで明明と電気をつけて最後の追い込みに頑張り、除夜の鐘を聞いて風呂に来るという段取りだった。したがって湯屋の大晦日は当然明け方近くまでの営業だったのである。忙しくてテンテコ舞いだったが活気があったよなあ。

 さて、昔を追い求めていてもしょうがない。現実に戻ろう。

「おや、早いね。今日で終わり?」

「そう、大掃除が終わって……」

「じゃ、これから一杯?」

「うん……」。ニコッとした。

 こんな常連さんが何人か見えた。さらに4〜5人の職人さんたちが仕事納めで「これから忘年会だ」と勇んで?やってきたが、前述したように次ぎ次とやってくることはない。ポツンポツンと見える程度である。これが近年の湯屋における年末風景だ。「昔はよかったなあ」とついボヤいてしまが、いつも遅く見える近所の飲み屋の親父さんに「忘年会で忙しかったでしょ?」と聞いたら

「大したことはないよ。昔と違ってワイワイガヤガヤ賑やかにやっていく連中なんかいやしない。世知辛くなったねえ」と、風呂屋のオヤジのようにボヤいていたから、「いずこも同じ年のたそがれ?」なんですなあ。

 先日、このブログに登場してもらい、当湯(うち)のエッセイストさんとお呼びした方が見えた。先般と同じように「墨東だより・新年号」と題した手書きのエッセイをお持ちになってくれたんだが、そこにこんな一文が書かれていた。

「……最近の正月は何処を見ても正月らしい風景に出合うことがなくなったのは淋しい限りです。私の子供の頃の正月は殆ど家の玄関先に日の丸の旗がはためいていて道路には羽根つきや凧上げの賑やかな声が満ち溢れ、日本髪の娘さん達が行きかうという普段の街とは違った華やかなものでした。懐古趣味だと笑われそうですが、私はもう一度あの様な戦前の正月風景の中にこの身を置きたいものだと思っております」

 そうですなあ。アタシもこの一節を読んでホントそう思いますなあ。

♪ も〜う幾つ寝るとォお正月ぅ〜♪。子供のこんな歌声も聞こえなくなっち ゃったもんねえ−−。

2006年12月27日

銭湯の川柳

 アタシね、川柳が好きでよく新聞などから引用させてもらい、このブログに使わせてもらっているんだけど、今日、ちょっと必要があって古い資料をかき回していたら、アタシが以前、川柳のことを書いた「全国浴場新聞」が出てきたんですな。それでこれをまた使ってみようかなと思ったんですよ。面白いかつまんないかは分からんけど、とにかく書いてみますから−−。

 川柳は江戸の中期頃から始まったとされているが、銭湯に関する江戸川柳も結構あるんだよねえ。で、川柳から見た江戸の銭湯模様を一つ二つ−−。

 江戸時代は朝湯が定番で5時、6時からもう開店したんだ。そこでまずはその朝湯風景から参ろう。

 <締出しのように朝湯を待っている>

 <内の戸があかぬと湯屋の戸をたたき>

 夜明けを待たずに客が押し寄せたんだ。何とも羨ましい時代ですなあ。

 次いでは江戸初期から幕末頃まであったという男女混浴の「入り込み湯」である。入り込み湯−−男女混浴でっせ。アンタ、羨ましんじゃいの。江戸時代はねこの入り込み湯が当り前だったらしんだね。

 <念のため 湯屋で仲人見合いさせ>

 スッポンポンでの見合いならこりゃあ 間違いないやね。アレッ、ヘソの脇にホクロがあらあ……。

 <入り込みは 抜き身ハマグリごったなり>となりゃあ <入り込みは いいが 伜が不心得>……になりますなあ。

 で、江戸の後年、幕府は「風紀上よろしからず」と再三禁令を出したんだがなかなか守られなかったらしいんだよねえ。

 湯屋のアルジも混浴によって客の入りが違うし、お客だってアジをしめちゃったもんねえ。だから明治の初めまで一部で混浴の風習が残っていたっていうんだ。入口を一応別々にして中へ入ったら男女の仕切りがなかったってんだからわが先達もアッパレな商売をしていたもんだよ。

 さてさて次はちょっと落として屁(へ)の川柳といこうか。

 <風呂の屁は 背骨数えてのぼるなり>

 浴槽ん中で軽〜くポッとやったら背 中を伝わってポワ〜ンと……。あるいは前をのぼってこれまたポワ〜ン。

 <湯でひった(放った)屁の玉アゴの下に浮き>

 アンタ、やんないでよね。

 といったことで、江戸川柳の類はとにかく仰山あるんだが、ここでひとまず江戸を後にして平成へと飛んでいこう。アタシね「サラリーマン川柳」という本からよく引用させてもらているんだけど、これがまた滅法面白く愉快なんだよねえ。で、「サラ川」から銭湯に当てはまる川柳をちょいと書いてみよう。

 一年ほど前まではいつもカップルで見えていた30代の女性。この頃一人でお見えになる。風呂屋のオヤジはどうも気になる。別れたのかなあ、とすればこの句だ。

 <投げ捨てたい 過去の男の顔とくせ>

 時折見える水商売なのか、派手な方。しかしねえ……。

 <ひとまわり 若くと無理して厚化粧>

 <厚化粧 ハエは止まれど蚊は刺せず>

 ゴメンね。美人なのにさあ。

 閉店間際に飛び込んできた40代の男性。

「残業で遅くなっちゃってマダ飯を食ってないんだ」

「じゃ、奥さん晩酌の支度をして待ってんね」

「待ってるもんか、もう寝てるよォ」

 おやおやカワイソーなご亭主。

 <まだ寝てる 帰ってみればもう寝てる>

 80前後の男女がフロント前でぱったり会った。

「元気?最近老人会のカラオケにやってこないね」

「あたし下手でしょ、だから……」

「そんなことはないよ、今度またやろうよ」

「教えてくれますか?」

 ほほういい雰囲気だ。

 <もう一度投げてみようか老いの恋>

 人間、いつまでも若くあるには色気をなくしてはならない−−なんて誰かが言ってましたな。そういえば川柳じゃな

 く都々逸(どどいつ)にこんな文句がありましたなあ。

 <腰が曲がって目がかすもうと恋に定年ありゃしない>

 アンタ独り者だっていうけど今、幾つ?、66?。じゃまだまだ色気はあるね?。ウン、そのつもりなんだけど周りが相手にしてくれないんだ−−。

2006年12月26日

銭湯の禁煙記事が

 ホウッ、出てますなあ……。読売の朝刊を開くと江東版に大きな見出しが飛び込んできた。「禁煙銭湯まだ半分。世田谷で市民団体代表が調査」さらに、「申し合わせ半年、組合に改善呼びかけ」となっている。記事はこうだ。

−−都内の銭湯が今年から全面禁煙を申し合わせたことを受け、禁煙運動を進めている市民団体代表が、自分の住む世田谷区内の銭湯を調べたところ、全面禁煙の実施率が半数にとどまっていることが分かった。この代表は「銭湯は大好きな憩いの場であるだけに、禁煙を徹底してほしい」と都内約970か所の銭湯でつくる都公衆浴場業生活衛生同業組合などに要望を続け、同組合も来年に都内の実態調査に乗り出す−−。

 調査したのは市民団体「たばこ問題情報センター」代表の渡辺文学(69)さんで、6月から11月にかけて世田谷区内50か所の銭湯を訪ね歩いた結果。全面禁煙は半分の25か所、喫煙所を設けた「完全分煙」は4か所、未実施も約4割の21ケ所あったという……。

 アタシャ一読してまずウーンと唸り感心しちゃった。禁煙のお目付けがいたんですねえ。オンブズマンという方ですな。実施率が半分でしたかァ。

 禁煙の御触れが出た当座、仲間がボヤいていましたっけ。

「湯上がりの一服を取っちゃうと客が減っちゃうじゃないか」

「俺んとこは入口の脇を喫煙所にして吸わせるんだ」

「禁煙にしたら脱衣場のジュース類が売れなくなっちゃったなあ」

 てなアンバイでね。

 でもね、うちの組合は聞いた範囲だけど分煙も含めてほぼ脱衣場の禁煙は守られているんじゃないかなあ……な〜んて書いたらオンブズマンのお目付けさんが、お忍びで調査に見えられ「なんと申される。これこの通り半分は未実施ですぞッ」と斬り捨てられちゃうかもね。

 ということで今度は当湯の状況に参ろう。浴場の全面禁煙については以前にも2回ほどこのブログ取り上げてゴチャゴチャ書いたけど、禁煙実施から半年経って、アタシん所はまあ定着したようですな。

 お上のお達し?が出てから脱衣場に入り口まで禁煙のステッカーをべたべた貼り、灰皿はもちろん撤去してお客さんに懇願?これ努めたんですわ

「今度ね、健康増進法っていうもんができてさァ、学校や病院から公共的施設に銭湯も全面禁煙のお達しが出んですよ。ですから何とぞ御協力の程を……」

 てな調子ですな。

 端(はな)の頃は多少のブーイングもあったけど「アタシもプカプカ吸うんだけど、お客さんに禁煙を強いてアタシが吸うわけにもいかないからいここに座っている間は何時間でも我慢してんですよ」というセリフも添えてのお願いだから、まあお客さんのご理解は早かったようですな。しかしね、その代わりに表に大型のスタンド灰皿を置いたんです。お客さんは入る前に一服、出てから一服とウマソーに紫煙をくゆらせていますよ。寒い外で吸わせるのも心苦しいですが、これもご時世ということでご勘弁くださいな。

 それにしても、世間に禁煙旋風が吹き荒れているような昨今なのにタバコの自販機は様々なパッケージが並び百花繚乱?の趣ですなあ。しかし大JTも世間の風には抗し難く「喫煙はあなたにとって心筋梗塞の危険性を高めます…」などと表示し「吸うと毒ですよ」と言わせられて売っている。お酒のボトルには「飲み過ぎますと肝臓ガンの危険性が高まります……」などとはどこにも書いてないのにタバコだけはセツナイ話だ。このままいくと天下の大JTも存亡の危機が訪れるんじゃないか。

 今や愛煙家は「害人」扱いですよねえ。世間から害人は抹殺されなければならない。となりゃあ社会から処断されないうちに万難を排してもたばこと決別しなければならない。このブログをきっかけに今度こそ禁煙!と思う。しかしなあ、今度こそはもうン十年も前から今度こそ!だったんだ。

 先日もブログに書かせてもらったが、「禁煙の日取り決まらず30年(よみうり寸評)」。アタシャもう40年になるよ−−。

2006年12月24日

有馬記念

 競馬界の大ラスを締めくくる有馬記念である。開店早々に入ってきた数人のお客さんが早速テレビ観戦である。3時25分スタート。

「あっ来た来たッ、うーん強いなあ。やっぱりデイープか……」

「2着は何が入ったんだ?1枠かあ。1は見なかったなあ」

「取った取った!。馬連1−4買ったんだけど、幾らついたかなあ……」

 賑やかである。悲喜交交……というほどではないが、的中した人、外れた人も結果の後は配当になる。で、例によってフロント前の掲示板に結果を書く。

 1着・ディープインパクト、2着・ポップロップ、3着がダイワメジャーと入り、馬連1−4の1070円、3連複1−4−5で5280円、3連単は4−1−5の9680円という配当である。まずは本命サイドの馬券だった。

 競馬終了後ぼちぼちとやってきたお客さんも掲示板を眺めて言う。

「うーん1着3着だよ」

「俺も1は見なかったよなあ」

 ダントツの人気だったディープが頭だったがちょいと外した方が多かったようですな。こんな人もいた。

「オヤジさん、今日はウマクいったですよ。馬連、3連複に3連単もとったですよ」

「ホウッ3連単もォ、すごいねえ」

「たまにはこんなこともなくっちゃねえ」

 ご満悦の様子ですな。そして夕方見えた30代のおねえちゃん。毎日の常連さんだが、掲示板を見てアタシに報告?した。

「あたし、ディープインパクトから3点流して取ったんですよ」

「ホウッ、アンタも競馬をやるの?」

「ええ好きなんです。大レースだと買うんですけどね」

「そう……」

 アタシャ、正直驚いたよ。掲示板の結果を見てアタシに一言二言、話をなさる女性はいるが、いずれも中年の人である。この子のように30代のウラ若い?女性が競馬の話をするとはねえ。ディープの人気の凄さを改めて感じたよ。

 ということでレースに参ろう。

 結果から言うとディープインパクトの強さにビックリしたということである。日本最強馬という評価は競馬ファンなら誰でも知っているが、今日のレースでの強さはスサマジイ程だった。アタシャ「こんなに強い馬だったのか」と脱帽させられたねえ。

 号砲一発、中段より後方に位置していたのはいつもの通りだが、4コーナーを回るやもう一気に仕掛けてきた。早い…早過ぎるんじゃないか。ゴール前で失速も……などと懸念して眺めていたが、何の何の、そのまま直線をグイグイ加速して直線中程ではもうハナに立ちそのまま3馬身の差をつけてゴールに飛び込んだ。ゴール前では足を緩める余裕さえ見せたのである。まさに圧勝だ。

 ディーブはこんなに強かったのか−−。有馬がラストランといわれているが最後になって現役最高、最強のレースを見せたんじゃないか。

 アタシャ、レース後あらためて新聞の予想を眺めてみた。インパクトについてこんなことが書かれてあった。調教師の談話だが−−。

「確信を持って生涯最高の仕上がりといえる。インパクトは右回りコースにもかかわらず、最後まで右手前(軸脚)のまま、軸脚を替えることはなかった。なぜか。手前を替えずともゴールまで伸びきる自信が馬自身にあったからだ。普通、右回りコースであれば右手前でカーブを回り、直線で左手前に切り替える。同じ軸脚で走っていると疲れがたまるのだ。だがインパクトは究極のコンディションにあるため軸脚が疲れない。だから手前を替える必要もなかった。これはもう究極。最後の最後についに完成したよ……」

 こう書かれてあってもアタシのようなシロウトにはなんだかさっぱり分からない。ただ分かったことは歴戦の調教師が走る前に「最後の最後に完成した」というんだから今日の走りも、いうなれば想定内だったことになる。

 最後に、も一つ付け加えておこう。新聞の予想だが、ジャパンカップでも書いたけど、万券のナントカっていう予想屋さんが3連単15本を上げていたが1枠ポップロップに無印だからカスリもしなかった。カワイソーに−−。

2006年12月23日

ゆず湯

 冬至、恒例の柚子湯である。師走の寒風もなく穏やかな陽気に誘われて程々の出足である。先着150人にユズを進呈−−のPR効果もあったかな。

 ユズは切れ目を入れたものを網袋につめて浴槽に浮かせる。時間の経過とともに柚子のエキスが浴槽をユズ色とでもいうのか、独特の色合いと匂いに包まれる。冬至の柚子湯に入るとカゼをひかない、ヒビ、アカギレにならないとは古来から言われているが、確かに柚子湯は暖まる。通常、使っている入浴剤とはまた違った本物の薬湯という感じもしないではない。

 続いて柚子のプレゼントだが、フロントにユズを入れた篭を置く。お客さんが一様に「あ〜ら、いいユズねえ」とお持ちになる。

「おや、今日は早いですね」

「そッ、ユズが無くなっちゃうから早めに来たの」。

 中には前日から「明日は用事があって早く来られないんだけど、毎年もらっているんで、悪いけど1つ取っておいてくれない?」とそっと予約?をされた常連さんもいる。たった一つの柚子でもイベントのプレゼントとなればまた格別なんでしょうな。近年「風呂の日のタオルプレゼント」「リンゴ湯のプレゼント」などなどプレゼントの名称にお客さんは魅力を感じているようですねえ。予定の150個が6時前に品切れになってしまった。ちょっと思惑より早かったが、無くなればしょうがない、しかしユズをお目当てに見える方は少々失望されるようである。

「一つぐらい取っておいてほしかったなあ」とは常連さんの恨み節?だが、そうなっちゃうとかなりの量を用意しなくちゃなるまい。風呂に入れるユズも大事である。ま、ご勘弁を……、というところだ。

 近年のユズ湯はその昔に比べたらおとなしいものである。毎日、日変り薬湯を実施していることもあるだろうが、なんたって時代の変化は人々の物事に対する価値観を大きく変えている。かっての銭湯の伝統的な風物詩も現在は単なるイベントの一つとして捉えているに過ぎない。菖蒲湯もしかりだ。

 ここで、その昔の銭湯隆盛時代を振り返ってみよう。近年はジジイになったせいか、やたらに「その昔」を書きたがる。ホント年は取りたくないよねえ。

 さてさて、ボヤキ節になっちまったけど「その昔」のユズ湯だったな。柚子湯の発祥は江戸時代というから古い。菖蒲湯にいたっては室町時代に中国から伝来して以来の風習だというからねえ。そしてその昔は「桃湯」という習慣もあったんだって。夏の土用中に桃の葉を風呂に入れると皮膚病やアセモに効能があったと言われたらしいんだけど明治の末頃から行われなくなったという。

 その他、中世以来の習慣で五木といって桃を始めとして柳・桑・槐(えんじゅ)楮(こうぞ)なども湯に入れたようだ、薬効があれば何でもブチ込んだんだねえ。現在 の銭湯は端午の節句に菖蒲湯、10月10日のせんとうの日にラベンダー湯、そして冬至の柚子湯が三大イベントとして行われている。

 アタシがこの稼業に入った当時のユズ湯はそりゃあ賑やかだったなあ。一般家庭には内風呂のほとんどのない時代だから、開店と同時にお客さんがワンサワンサと押しかけてきたよ。柚子は輪切りにして風呂ン中へそのまま放り込むんだが時間が経つとフヤけてしまい浴槽の底へ沈んでしまう。そうすっとユズを追加するんだが お客さんは新しいユズが入ると歓声を上げて喜んだんだ。

 しかしね、そんな柚子湯も、そして菖蒲湯もだが、昭和35年前後だったか業界に循環濾過器が導入されるに及び「もう古い菖蒲・柚子の時代ではなかろう」と一時廃止されたんだ。ところが昭和55年頃、需要喚起策の一つとして「伝統あるよき風習の復活」ということで再開され現在に至ってんだ。

 しかしアタシャ思うんだけど、今日ビの、特に若い人たちには「カゼを引かない・アセモにならない」も結構だが、なんたって今一番求められているのは美容効果だね。○○湯に入ったらお肌がスベスベ。一週間続けたら目尻のシワが取れちゃった……な〜んていう薬湯が開発されたら銭湯の大きな魅力になるんだけどねえ。誰かさァそんな入浴効果のあるもんを考えてよ−−。

2006年12月21日

亀田の防衛戦

「今日は亀田のボクシングがあるんだよね。亀田は日本人だから応援したいんだが、どうもあの態度が気にくわないんで応援する気がなくなるんだよなあ」

 と言いながらもテレビの時間を気にしてそそくさとお帰りになったのは60代の男性。そうだよねえ、亀田は人気がある。人気があるが亀田ファンというお客さんは当湯(うち)には少ないようだ。興味はあるが応援したくない…、こんな人が多いようである。しかし試合への関心は逆に高いんだな。

 7時、「WBA世界ライトフライ級タイトルマッチ、亀田興毅対ファン・ランダエタ」のテレビが始まった。脱衣場の客が潮の引くようにいなくなってしまった。前述の「亀田は好きじゃないが試合は見たい」というファン心理がはっきり現れている。この分じゃ視聴率もかなりの数字をあげるんじゃないか。

 さて試合である。結論からいえば凡戦だった。つまらない内容だった。前回判定問題で大きな紛糾を呼んだ一戦だっただけに、今回は審判も公平に選んだという。当り前のことだがね。アタシャ、この試合が面白くなるのもつまんなくするのもランダエタの調子一つだと思っていたし、前の試合にプロモーターの画策ウンヌンまでも取り沙汰されていたから、今回もランダエタに何らかのアブローチがなけりゃいいが、と取り越し苦労をしちゃったほどだ。

 ということでゴングになったんだが、亀田が戦前、ファイテングスタイルをモデルチェンジするとかなんとか言われていたが試合が始まったら正直驚いたね。ゴングとともにラッシュして打ち合う亀田スタイルが一変して、なんとアウトボクシングでランダエタの周囲をぐるぐる回り打っちゃあ離れるというポイントアウトの戦法に出たんだ。何やらランダエタの強打を警戒して逃げのボクシングにも見えたねえ。アタシ、オイオイ亀田クンよォ、前回の試合で食らったダウンがよっぽどこたえて、打ち合いを恐がってんのかい?、なんて思っちゃったよ。まあ、従来のような接近戦一辺倒ではこの前のように一発食らっちゃう危険性があると考えて安全運転に切り替えたっていうとこなのか。

 そしてランダエタの出来がまた悪いんだ。ウエイトコントロールに失敗したのか動きがまったくよくない、パンチにスピードがない。逃げる亀田を追いかける足もないし、何よりも打ち合わない亀田だからパンチの当てようもない。動き回る亀田が時折飛び込んできてボデイブロウを放つとまたサッと離れてしまう展開が最終回まで続いたんだから試合は一向に盛り上がらず、山場もなく終わってしまった。ジャッジは3−0で亀田。互いにクリーンヒットもなかったんで、若干手数が多かった亀田の勝ちはまあしょうがないだろうな。

 それにしても、優劣のつけがたい凡戦でもラウンド毎に差をつけなきゃいけない審判方法のせいか、3人のジャッジが119〜108、115〜113、116〜111と大差に接戦にといい加減きわまる数字が並んじゃったが、凡戦を判定する難しさなんでもあろう。

 試合終了後の亀田の第一声が「どんなもんじゃい!」だった。しかしねえ、どんなもんだ!と見得を切るよいな内容じゃとてもなかったなあ。

 試合が終わってやってきた70代の居酒屋のダンナと60代の職人さん。

「なんだいあの試合、出来レースなのかよォ」

「つまんない試合だったなあ。一緒に見ていた連中はみんな亀田の負けるところを見たかったらしいよ」

「大して打ち合わずにパフォーマンスばっかり派手にやっちゃってさあ。これから亀田の試合はみたくなくなっちゃったよ」。

 イヤハヤ亀田クン散々ですなあ。ボクシング界は今や低迷のどん底である。

 何とか人気挽回にスターがほしいんだ。しかし唯一の人気スター?である亀田がこんな調子では、この先も知れてんなあ。相手を選ばず日本人選手でも誰でもファンの期待するカードを組んでほしいねえ。ゼニ儲け優先のマッチメークでは飽きられるのも時間の問題だと思うがねえ−−。

2006年12月20日

「江戸ぼら瓦版」

 先日このブログに登場してもらった江戸東京博物館で展示物のガイド・ボランティアをなさっている方が今日「これを読んでみて。あたしもここに書いてんですよ」と江戸博の情報紙「江戸ぼら瓦版」をお持ちになてくれた。

「展覧会紹介」「ボランティア全体会」「幹事としての一年を振り返る」などなど、会員さんの文章が掲載されている。この方の一文は「戦後10年が経った頃のお話」でしたな。楽しく書かれていますねえ。

 昭和30年頃の様々な社会模様の一端が描写されているんだが、浅草観音様の裏手にあった花柳界で三味線を抱えた新内流しや、浅草芸者がお座敷へ出かける様子、浅草雷門前でのテキヤや香具師(ヤシ)の売人風景などなどが懐かしく描かれている。当時の住み込み従業員の給料が4000円程度で、休日は浅草六区での映画見物が唯一の楽しみだったと、往時を知る者には時代が彷彿として甦ってくる。「裕福ではなかったが、今考えるとのどかな時代だった」と回顧されてもいたが、確かに豊かすぎて物の有難みが分からなくなっている殺伐とした昨今では考えられないような「いい時代」だったなあ。

 昭和30年代はいわゆる神武景気で日本の戦後の大きな成長期でもあった。電化ブームが起こり、人々の生活は急激に裕福な階段を駆け上がっていく時代でもあった。東京都の人口が851万人に達した時でもあった。

 ということで今度はアタシの昭和30年代をちょいと振り返ってみたんだ。

 アタシが湯屋番になったのが昭和25年、それから3年後に独立し、30年代は湯屋稼業もそれなりに板についてきた。商売もよかった。何しろ銭湯大隆盛期である。浴場軒数も飛躍的に延びて、戦前2800軒もあった風呂屋が戦争で400軒になってしまったんだが、戦後の復興は毎年200軒もの煙突が立ち並び2000軒を越した時期である。そしてアタシャ20代、景気がよくて仕事も面白いとなりゃあ後はやることが決まってる。ご多分に漏れず悪友連と紅灯の巷をさまようことが多くなっていた。トリスバーができたのもこの頃じゃなかったか。流しの演歌師がギターとアコーデオンを持ってやってきたねえ3曲100円だった。余談になるが、演歌といえば「もう一つの墨田の歴史・宇井昇著」に戦後の大ヒット曲だった「あこがれのハワイ航路」「悲しい酒」などで知られる岡晴夫・上原げんとが演歌師として押上界隈を流していた……と書かれている。そして昭和30年の初めはまだ赤線があったんだよなあ。チョンの間が500円……これはまあ、どうでもいいことであるが−−。

 当時はどこの浴場でも数人の従業員を雇用していた。当湯(うち)も男性が二人、女性が4人というスタッフだった。手が揃っているから昼間は燃料取りなどで目一杯動いても夜になると比較的余裕ができる。その余裕を利用して?同じような立場の連中と夜の巷を徘徊するんである。勉強でもすりゃあいいのにそれもやらずに錦糸町から浅草、上野の下町の盛り場をほっつき歩くんだ。

 その頃はゼニの価値が当今と違って使い出があった。程々の懐具合でも結構楽しめたんである。で、身分不相応のクラブやバーに身のほど知らずに出入りしていたなあ。最も一般のサラリーマンでも社用族という言葉があったよき時代で、結構な遊びができたようである。

 盛り場で遊んでいて今でも印象に残っていることがある。クラブやキャバレーが閉店するのは11時間45分と決まっていて、ラストの蛍の光が奏でられると客はどっと表へはき出されるんだが、それから帰りのタクシーを拾うのが大仕事。何せ当時は猫も杓子もタクシーを使い千葉・埼玉などへも気前良く乗っていくような世相だった。今のように何台もの車が列をなして客待ちをしている光景からはまさに隔世である。タクシーがなけりゃええいもう少し飲んでいこうとなりご帰還は夜中の2時〜3時になってしまうという仕儀だった。

 何にしてもよく遊んだよ。ハア?、アンタそれで今、後悔してないかだって?、ウーン、してるようなしてないような−−。

2006年12月18日

小学4年生のメッセージ

 区が毎月3回発行している「墨田区のお知らせ・すみだ」の12月1日号に「思いやりの心を育てよう」の見出しで人権週間が取り上げられている。その中に「子どもたちからの人権メッセージ発表会」での小学4年生の女の子の発表作品「人間はみんなつながっている」という一文が掲載されていた。一読して驚いた。小学校4年生でこんな作品を書くのか」と感心、というより驚嘆させられてしまった。すごい、立派だ。どう凄くて立派か−−とにかく書いてみる。もう読んだ方もいるでしょうが、初めて読む人は驚きなさんな。

これは実際にあった出来事です。先生が4年生全員のいる図書室へ1枚の紙きれを持って来ました。「○○さんにいじ悪しようよ」「そうだね、○○のやつ、うざいしね」と書かれた紙を先生が読み上げると、図書室の中はシーンと静まり返りました。名前は読みませんでしたが、書いた人も書かれた人もやな思いをしたのかも知れません。でもその時私は、なぜ相手に向かって直接言わないのかなぁと思いました。陰でいじ悪するなんて、まるでこそこそしているどろぼうです。私は3年生まで学童クラブに通っていました。ケンカなどいやな事が起こった日は「なぜ、そんな事になったんだろう」「あやまった方がいいかなぁ」と友達に相談し、話を聞いてもらいました。話を聞いてもらう、それだけでも気持ちが晴ればれしました。今思えば、心の底から話し合える友達がいるといういう事は、いじめがなくなる第一歩なのではないだろうかと思います。子供の自殺などの事件は、いじ悪されたり無視されたり、などという悲しい事が原因になる事も多いようです。一人でも自分の気持ちを聞いてくれる友達がいれば、いじめをしようとする気持ちも薄れるのではないでしょうか。私はねる前に吉野源三郎というひとが書いた「君たちはどう生きるか」という本を母に読んでもらっています。本の中の「人間は地球にとって分子なんだ」という言葉から私は、一人ひとりは違ってもみんな同じ分子(人間)なのだから差別するのはやめて仲良くしなさいという意味なのではないかなぁと思いました。また、見ず知らずの人との間にも、実は切っても切れないような関係ができてしまっているというのもなっとくができました。例えば私の使っている鉛筆一本にしても、材料となる木を切った人、芯を作った人、、原料を運んだ人と、多くの人がかかわり合っていることなどからです。私達の命は一人ひとりが神様からいただいた大切な命です。その命をいじめたり、うばってしまおうとする時、もう一度考え直してほしいと思います。もしかしたら、自分が傷つけようとしているその相手だって、どこかで自分に結びついるのかも知れないのですから。(原文掲載)。

いかがですかな。これが小学校4年生、十才の子供が書いた文章ですぜ。アンタどう思う?。毎晩お母さんに、岩波文庫の名編集長で平和運動に努めたという高名な吉野源三郎の名著を読んでもらい、「一人ひとりは違っても人間は皆同じなのだから差別をなくして仲良くしよう……」なんて言葉をアンタは書けるかい?。アタシャほんとに驚いたよ。そして思ったんだ。この子のお母さんの子育ての在り方たについてね。もちろんこの作文はお母さんの指導で書いたものであろうが、これだけ真摯に子供に向き合っている母親にもアタシャ大いなる敬意を表したいねえ。

 最近、学校で様々な社会問題が起きるが、そんな時、学校や教師がその是非を問われているけど、ついぞ親の姿は見えない。子供の躾から人間性を作っていくその原点、出発点はすべて家庭・両親にあると思ってんだけどねえ。

 それにしてもと、ちょっぴり考えちゃった。この作文を読んで冒頭の先生はどう思ったんだろうか。そしてね、小学校4年生でこんなにしっかりした意見を述べる子には、子供特有の「無邪気さ」っていうもんがあるのかなあ、なんてね−−。

2006年12月17日

松坂大輔はなあ

 毎日10時前後になると見えるサウナの常連男性。60ほどかな。競馬と野球が大好きな様子で、アタシとよく話し合うんだ。そしてこの方、アタシの知ったかぶる話を程々に聞いてくれるんですな。その上感心したような表情も付け加えてね。だからアタシはこの人と話をしている時は気分がいい。何せ風呂屋のオヤジは単純そのものだからねえ。

 今日は開口一番「松坂がやっとレッドソックスに決まったねえ」である。そして続けなさる。「入札金から始まってものすごい金額だねえ。だけど代理人というのはいったい幾らぐらい取るんですかねえ」と聞いてくる。で、アタシの解説?だ。例によって知ったかぶる。「契約額の5%だっていうから、松坂の場合は3億円らしいね」。さっき新聞で読んだばっかりのネタである。

「3億ねえ。代理人ていうのもいい商売だねえ」

「そうねえ。しかし昔、代理人制度が始まった頃、ジャイアンツは、あのナベツネさんが代理人を認めなかったんだよね。しかし今はもう誰もが代理人を使うもんねえ」

「そうなんですかあ」

 お客さんもアタシに負けず“例によって”感心したような表情を見せるから、どうしてこの辺は心得たもんだよ。

「とにかくこんな大金が動くようになると、オヤジさんが前に話していたように日本の野球界はスターがみんな向こうへ行っちゃうし、日本のプロ野球がほんとダメになっちゃうねえ」

 以前、アタシが話した愚見に改めて賛意を表されて?脱衣場へ向かわれたんである。

 ここんところ、これといったスポーツニュースがないからテレビ・新聞は連日「松坂」をトップニュースで扱っている。今日の新聞も「Rソックス 松坂球団出費1億ドル」の見出しで大々的に報じていた。1億ドルって一体幾らになるんだい?。とにかくケタはずれな金額が紙面に踊っている様はただただスゲエなあと思うばかりで今いちピンとこないやね。

 新聞には「大リーグの大型契約と主な日本人選手の契約」も載っていたね。

 それによると日本人最高額はヤンキースの松井で、契約金61億で4年契約の年俸15・5億だそうな。次いでマリナーズのイチローは47・5億で4年の年俸11・9億。そして松坂が61・3億で6年契約の10・2億の年俸だそうである。

 さらに大リーグではレンジャーズのロドリゲスが277億の契約金で27・7億が年俸であり、ヤンキースのジータが222億で22・2億だという。

 何にしても大リーグってえのは幾ら払っても商売になるのかねえ。そんなに人気も景気もいいのかねえ。これじゃあ赤字でアップアップしている日本の大多数の球団は選手に逃げられてもしょうがねえなあ。目のくらむような札束の山をみせられたんでは、日本の選手が二言目には「大リーグ挑戦」とメジャー志向になるのも無理はねえよなあ。エッ?、大リーグへ行くのはゼニのためじゃないって?、まあまあ、そうは言ってもねえ−−。

 今日は今夏の甲子園のヒーローだった駒大苫小牧・田中投手の楽天・入団発表も報じられていた。報道陣の松坂に対する感想を求められて「遠いということしか言えない。凄い遠い存在です。自分はこの世界で一番になれるように頑張りたいです」と感想を述べていたが、「将来はメジャーで投げたい……」というセリフが出なかったのにはアタシャなんとなくホットしたねえ。

 とにかく、アタシャ、この手の話を書くときにかならず引用させてもらう正力松太郎の「太平洋をはさんで真の日米ワールドシリーズの実現!」という理念が好きなんでねえ。「日本プロ野球を盛り上げ、将来は日米決戦を行い、大リーガーを手玉に取りたい……」な〜んて言う選手が現れないもんかねえ。

 何だって?、そんな夢のまた夢みてえなことを言ったら笑われちゃうって?。

 日本は永久にアメリカのマイナーよ、だって?。う−ん、カナシイ−−。

2006年12月15日

敬老入浴は賑やかですなあ

 金曜日、敬老入浴デーである。師走とはいえ風もなく暖かい日だ。高齢者が開店前からもう十数人も待っている。いつも書くけどこの日の混雑はその昔の風呂屋を彷彿とさせる一日でもある。何しろ65歳以上の利用者だけでも200人の大台を楽にクリアするんだからね。現在の東京の銭湯利用者数の平均が130人という時だから賑わいぶりがお分かりいただけよう。そしてその約7割の方が金曜日だけにお見えになるお客さんなんである。皆さん、広い空間で楽しそうに週一の銭湯を堪能しているようだ。

 5時、常連のおばちゃんがお二人であがってきた。

「今日はいつもより早く来ちゃったけど、座っとこがないのよォ。もう金曜日は落ち着いて入れないわねえ」

「そうですねえ。6時過ぎると一段落するんだけどねえ」

 確かに開店早々はウンカのごとき大群?で、普段のんびりゆったり入っている常連さんには何ともせわしないでしょうなあ。

「金曜日になるとこんなにやってくるんだから内風呂より銭湯がいいってことなのよね。だったら普段も来ればいいのにねえ」とつぶやくように言ってお帰りになったが、常連さんは風呂屋のオヤジの気持ちをよく知ってますよね。ということで今日は敬老入浴の話だが、ちょっと変わった方?を取り上げてみようと思う。何せいろんなお客さんがいるんだよねえ。

 先ほど入った70前後のおばちゃんがフロントへ出てきた。

「小さいシャンプーってあるの?」

 アタシャ、おばちゃんの姿を眺めて驚いたよ。おばちゃんなんとスッポンポンで現れたんである。

「おばちゃんねえ、そんな格好でここへ出てくるもんじゃないよ。フロントは表と同じなんだから素っ裸で出てくるヒトなんかいないよ。ちょっとシャツでもひっかけて来るのが常識だろッ」

「あらそう、だってあたし、今日初めて来たんで知らないんだもん」

「知るも知らないもねえだろッ。少しは恥ずかしいって考えなよッ」

 アタシャつい言葉がぞんざいになる。おばちゃん「だって初めてだもん」を繰り返すだけだ。入口のドアーが開けば丸見えの場所だよ。ヘンテコな人だねえ。

 この頃、敬老入浴には初めての方が結構見えるようになっている。次の人も最近、金曜日になると見えるようになった70年配の男性。来ると挨拶もなく黙ってお入りになる。アタシには何となくエラソーに思える人である。今日は

「これ、預かってな…」と小さなバッグをフロントへ出された。貴重品を預かるのはフロントの大事な責務である。そして一時間余の入浴を済まされた後、預けたバッグを受け取り、珍しく口を開かれた。

「ちょっと大金が入ってんだ」

「大金?、風呂屋には大金は持ってこないほうがいいですよ」

「うん、銀行へ寄ってきたんでな。百万円入ってんだ」

 そしてやおらバッグのチャックを開けて「ホラ……」と札束をわざわざ見せられた。どうだッ俺は金持ちなんだと言わんばかりである。今日ビの百万をわざわざ見せびらかすとはねえ。何ともイヤ味なヒトである。意地の悪いアタシャ腹ん中で思ったよ「百万円ぐらいいちいち見せびらかす金額じゃないでしょ。ほんとの金持ちは敬老入浴には所得制限があって入浴証は交付されないんですぜ、金持ちのダンナ!」。

 さてさて、ちょいとツマラン話を書いてしまったが、最後はほのぼのとした人を紹介しよう。当湯(うち)では最高齢である96才のおばちゃん。この方ね、金曜日になると開店前から待っていなさるんだ。そして言われるんだなあ。

「あたしね、普段一人だからお喋べりをする相手もいないでしょ、だから金曜日にきて皆さんのお話を聞くのが今一番の楽しみなの」

 そう、このように浴室で脱衣場でいろんな人と話をしたり聞いたりすることが目的でやってこられる方は多いんだな。これは敬老日に限らず、普段でもそうである。これぞまさに銭湯の価値観だとアタシャ思ってる。

 おばちゃんねえ、週に一回のリフレッシュタイムを、ゆっくりのんびり楽しんでいってよね−−。

2006年12月14日

明るくボケたいねえ

《もの忘れボケがきたかとにが笑い(人生川柳)》

 用があって階段をトントンと二階へあがった。あがってみて「ハテ?、何のために二階へ来たんだっけ?」。最近、どうもこんな傾向が強くなっているようだ。ボケの始まりか、つくずく「老いたなァ」と情けなく思う。

 未曾有の高齢化時代といわれる近年、高齢化とボケは友達みたいなもんだ。当然、銭湯のお客さんにも「ボケちゃってさあ」の言葉はやたらと聞く。ロッカーのカギや下駄箱の札が見あたらない……こんなことはそれこそ日常茶飯事といってもいい。そしてお客さんのセリフが前述の「この頃ボケちゃって…」につながるんである。「年を取ればしょうがないですよ」とフォローするのがアタシの定番になっているんだが、フォローするご当人がボケたなあ−−と思ってんだから困ったもんさ。

 そこで今日はお客さんの「物忘れスケッチ」といってみようかな。

 物忘れも初期症状?は何とも明るいんだが、これがかなりのボケ状態になると、ご本人は物忘れを意識しなくなる。こうなっちゃうと暗〜くなる。これはセツナイ。切ない話は書きたくない、いや書けないんだ。あくまで明るくトボケタ?感じの物忘れがいい。そんなお方をお二人ばかり書かせてもらおう。

 まずは30年来の常連おばちゃん。83才になられたというが、しっかり者のおばちゃんが近頃の所作にトボケが多くなったようである。以前ならフロントへ見えると簡単な挨拶で入浴券をサッと出されてお入りになるんだが、このところそのサッとがなくなっている。フロント前で風呂道具の入った布袋をかき回し「あれっ、お風呂の券をここへ入れてきたんだけどなあ」。ガサゴソガサゴソ……そしてアッタァ!と喜色をあげるのが最近のならいとなっている。

「家を出るときはちゃんと入れてくるんだけど、ここへ来ると分かんなくなっちゃう。もうしょうがないわねえ」

 そして今日。いつものようにフロント前に立たれたんだがちょっと考えた様子でおっしゃる「エ〜ト、あたし何をやるんだったっけ?」。アタシャ笑いながら申し上げた「入浴券を出すんでしょ?」「ああ、そうよねえ」で、布袋をカサゴソ……。こうやって文字に書くと何やらセツナク聞こえるがおばちゃんの一連の動作は屈託がないからちっとも暗くないのである。アタシにとってはむしろ愉快にさえ感じられるんだ。

 お次は85才というご老体。この方も10年来の常連さんであり、以前、このブログにも登場してもらったが、M大野球部の出身なんである。ついこの間までアタシと古い六大学野球の話などをしていたんだが、ここんところ野球の話を振ってもほとんど乗ってこなくなった。代わりに?スットボケタような会話が多くなったんである。こんな具合にね−−。

 フロントのカウンターの上に小銭入れから10円硬貨をズラッと出された。

「風呂代、こっから取って」

 10円玉は都合12枚

「これで120円ですから後310円足りませんけど」

「そっか……」

 で、今度は小銭入れから100円玉を5、6枚出された。

「それで後いくら足らないんだい?」

「いえ、これでは多過ぎるから、コレコレで」

「そっか、足りたか……」

 こんなことが最近続くんで家の者が「大人430円」と書いた紙切れを渡したんだ。ご老体、それを小銭入れにしまったんだが、今日はその紙切れを取り出してやおら宣われた。

「こんな紙が入っているが、これは何の紙なんだい」

「ああそれ、お湯銭ですよ」

「そっか。風呂代は430円か……」

 1週間に数回見えられる方なんである。そしてこのご老体のボケ症状はちっとも悪びれない。ボケちゃって、などの言葉はいっさい出てこない。悠々と泰然と、そしてもひとつ、ひょうひょうとなさっているんだ。こんなボケ方も悪くない。アタシにとって反面教師的でもあるよ。《老人のグチを聞くのもボケ防止》。こんな川柳もあったな−−。

2006年12月12日

シニアライフってねえ

 高齢化時代である。毎日の湯屋稼業でつくづくそう思う。ついこの間まで壮年の趣があった人がいつの間にか、そう、いつの間にかジイチャン・バアチャンになっている。それとともに脱衣場の話題も、これまたいつの間にかだが、体の話、医者の話に年金などのことが主流になっている。

「コレステロールが高いっていわれてんだ」

「血糖値が高いのよね」

「血圧が高くてねえ。薬飲んでるんだけどなあ」

「医療費が上がっちゃって年金が下がっちゃうしなあ……」

 聞いていてなんとなく侘びしくなる。なるがしょうがないんであろう。かってのように、うまい店の話しにお酒のこと、遊びの話題などなど、声高に喋っていたことが片隅に追いやられているようだ。人生80年、いや90年でもあるような昨今は「あっちの病院、こっちのお医者さんと医者通いが仕事だし楽しみって言えばテレビしかないんだよなあ……」。こんなセリフを聞くと何やら長生きの空しさ?みたいなものも感じてしまうよ。そういうソレガシも同じように体の衰えを嘆いている一人なんだがね。

 とまあ、老いの悲哀をセツナク書出したけど、反面、生き生きと老後の生活設計を実践している方もいるんだよねえ。セカンドステージ、シニアライフなどの言葉も多く見られるし、定年後の人生を旺盛に生きようっていうんだからすばらしいもんだ。で、今日はそんな方のスケッチを少々−−。

 墨田区高齢者福祉課高齢者支援担当というところに「て−ねんどすこい倶楽部」という組織があるんですな。定年後や子育てが終わった主婦の方が集まり経験、技能、特技などを生かすボランティア団体として活動してるということだが、アタシも「どすこい倶楽部」の方たちと何回かお会いしてみて、このような会に積極的に参加している人達は生き生きとしているようですなあ。生き生きっていえば「墨田区生き生きプラザ」という高齢者の交流会館的な所があるんですってねえ。うちのお客さんもよく「生き生きプラザ」の話をしていますが、70半ばの男性は毎日のようにこのプラザで将棋を教えているそうなんですな。また同じプラザでパソコンを教えているという方もいましたな。この人達は趣味に生き甲斐を求めているから、それこそ生き生きとしてますよ。

 続いての人は敬老入浴にやってくるやはり70過ぎの男性だが、「あたしねオヤジさんみたいに文章を書くのは下手だけど、喋るほうは結構できるんですよ。それで江戸東京博物館でボランティアで展示物のガイドをやってんです」

 ホホウ、展示ガイド・ボランティアですかあ。そうすっとかなりお口のほうは達者なんですなあ。そのせいかどうか、この方、すこぶる元気な様子でお若いですよ。どすこい倶楽部も、生き生きプラザでも、江戸博ボランティアにしても、とにかく定年後のセカンドライフを積極的に行っている方たちは、何も仕事がなくて年金額の少なさなどを嘆いている人から見たらショボクレていませんな。人間、どんな形でも終生現役的でなくてはイカンのですなあ。

 さて最後は自営業の方に登場願おう。お客さんには近所の商店、飲食店などのご主人が多く見えるが、自営業には定年がない。であるから体力が続くうちは終世現役である。したがって気力体力とも旺盛である、衰えない。いや年とともに衰えはあるんだが、営業上衰えのない顔をしてお客に接する…のであるから周囲はいつまでも元気だねえ、と感嘆する。

 ということで自営業のシンガリは風呂屋のオヤジに参ろうか。アタシね、このところ体調今いち芳しからずと、仕事の大半はもう倅がやってくれるから半隠居みたいなもんだが、何もやらないでいたんでは心身ともにジジイの極になってしまう。で、フロントへは程々の時間を座ってんだ。お客さんと接することによっての刺激とともにこの「風呂屋のオヤジの番台ブログ」のネタ拾いという側面もあってね。今日もフロントで「イラッシャイ!」とやってるが、どうも近頃、声に生気がねえなあ−−。

2006年12月10日

銭湯は子供の成長スポットだ

「オヤジさんのところは産経新聞を取っている?」

「いえ、取ってないけど」

「そう、産経の昨日の新聞にお風呂屋さんの記事が出てたんで、ちょっと切り抜いてきたのよ。よかったら読んでみて…」、と言って小さな切り抜き記事を出されたのは70過ぎの男性。古い銭湯ファンで、アタシとフロントでよく銭湯談義をなさるような人だ。

 出された新聞のスクラップをさっそく拝見。

「少年たちとお風呂屋さん・編集長から」というコラムである。

「ゆうゆうLife編集長」の佐藤好美さんがお書きになっているんだが、風呂屋にとってはとてもいい話なのでこのブログに紹介したくなった。で、ちょいと書かせてもらいます。

ある日、友人宅から帰ってきた長男が「みんなでお風呂屋さんに行く約束をした!」と言う。誰が思いついたのか、少年5、6人で行くという。

それはさぞ他のお客さんに迷惑だろう。

「湯船で泳がないのよ」「風呂を出る前にしぼったタオルで体をふくのよ」と注意したが、わかったのかどうか…。

「風呂代と風呂上がりに飲むジュース代をちょうだい」と、要求して意気揚揚と出かけていった。身の縮む思いだったが、そんな機会でもなければ、都会の核家族の子供は高齢者と触れ合うこともない。頑固なおじいちゃんや口うるさいおばあちゃんに「行儀が悪い!」と叱咤していただいたらありがたい。親や先生と違う目線でほめるれることもあるかもしれない。

私自身、「風呂なし、トイレ、台所つき6畳」に住んでいた大学時代、2日に1度はお風呂屋さんに通った。見知らぬ人と隣り合わせのカランで世間話をするのも悪くない……。子供の世界は家庭を除けば、ほぼ学校の人間関係しかない。学校が世界のすべてだから、そこでうまくいかなければ、煮詰まってしまう。しかし、地域やスポーツ倶楽部など、別のフィールドで、異なる人間関係が築ければ、学校は世界の一部に過ぎなくなる。

「週末は息子とお風呂屋さんにしようか。そう考えるこのごろなのだ。

 アタシャ、一読して、まさにその通りだと思った。銭湯のこれからの有り様を大きく指摘なさってくれている。いいなあ、こんな文章は大好きだ。

 筆者の佐藤さんは先月、全国浴場連合会の大会で講師をお願いした人なんだが、「お風呂屋さんは数が減り、客層も高齢化している。これからのニ大看板は健康増進と住民交流だという。『異世代交流もぜひ』とお願いしたい……」とも書いてあったが、銭湯の大きな指針でもあろう。

 最近、小学生がよくツルんでやってくる。母親に風呂代とアイスクリーム代をもらってくるそうだが、この辺は佐藤さんの言葉通りなんですな。アタシャ子供が来ると決まって言う。「お前たちよォ、風呂ん中で走ったりして騒んじゃねえぞ。ちゃんと入ってこいよ。そしてな、上がる時には体をよくふいてな」。子供は時として脱線もするが大方は素直である。そして湯上がりにアイスをなめながらフロント前で本を広げたり、ふざけたり、楽しそうである。

 アタシャ、そんな時また聞くんだ。

「どうだお風呂は楽しかったか?」。

 子供は異口同音に応える。

「ウン、とってもよかった……」

 アタシね、以前、業界関係の本にこんなことを書いていたんですな。佐藤さんのご意見と軌を一にするようなことなんで、こちらもついでに書いておこう

「………現在の子供は両親以外に大人と接する機会がまことに少ない。少ないから世間のルールを知るのも遅くなる。その点、銭湯は日常的に知らない大人と子供が混在できる唯一の場所ではないか。銭湯がかってのように『子供が楽しみながら成長出来る存在』でありたいものだ……」

 銭湯が子供の成長スポットでありたい−−。

 佐藤さんのコラムを読んで、その思いがまた強くなった−−。

2006年12月08日

東京と大阪の風呂はねえ

「この間、テレビで見たんだけど、大阪と東京の銭湯はだいぶ違うんだってねえ」と話しかけてきたのは70半ばの御仁。大学時代の友人が今でも横浜で銭湯を経営してるということで、風呂屋に興味が深いとみえ、アタシに何かと話しかけてくるんですな。

しかしこの方のご質問はちょいとアタシにとって難しい一面もある。

「何かの本で読んだ記憶があるんだけど、ルネサンス時代の古代浴場は……」などという話が出てくることがある。そうなっちゃうとアタシャもうお手上げよ。だってねえ13世紀の古代ローマにおける浴場について……なんて聞かれたってアンタ答えられるかい?。アタシャ江戸時代の湯屋のことぐらいなら何とか聞きかじっているからご返事もできるが、海の向こうのそれも古〜い風呂の話しじゃなあ……。W大ご出身という知性派のお客さんは、小僧上がりのオヤジにとってはちょいと異質なお人であるが、反面楽しいお相手でもあるね。

 ということで冒頭の話に戻ろう。大阪と東京の銭湯の違いでしたな。

「そうですねえ、もともと銭湯は上方から始まったと言われているんで、最近まで大阪のほうが設備にしても東京より一足進んでいたようですね」

「そう……」

 インテリさん、興味深そうに聞いてくれているんだ。

「これはアタシの推測なんだけど、大阪商人なんていう言葉があるくらいだから大阪のほうが商売に対して昔から自由競争が激しかったんじゃないかなあ。それに対して東京は組合がまとまっていて何事も協調していこうということでいうなれば護送船団方式で進んできたんでしょう」

「なるほどねえ、大阪が進歩的で東京は保守的ということだったのかな」

「そうですねえ。古い話だけどアタシが組合役員に出た頃、先輩から、組合の意義は底辺を持ち上げて皆でまとまっていくことなんだ、というようなことをよく言われましたもんねえ。しかし平成以降は浴場も厳しくなってきたんで否応なく自由競争の傾向が強くなっていますけどね。護送船団方式では全体が沈んでしまうという危機感が強くなったんです」

 東京と大阪の風呂の違いについては先日、朝日新聞に「東西『湯』対決」の見出しで大きく出ていたんですよ。その時アタシもちょっと取材を受けたんですがね、で、その新聞記事をコピーして知性派さんに進呈したんだけど、ここでもその一部を抜粋して紹介しよう。

 大阪銭湯史によれば、大阪の特徴は浴槽が風呂場中央にあること。周りを高さ十数センチの段がぐるりと取り囲む。これを「踏み込み」と呼ぶ。「昔は浴槽から湯をくみ出し、ここに腰掛けて浴槽の湯を使って体を洗った」という。そのせいか洗面器も東京より大阪の方が一回り小ぶりだったそうな。

 対して東京は浴槽が浴室の奥にあり、カランで体を洗い湯に入るのが入浴スタイルだった。でも混雑するとカランの前に列ができる。浴槽の中から湯をくむ大阪のほうが、待たず、湯量の節約にもなって合理的?というかケチくさい……。さらに大阪の銭湯は40度、東京は42度と決まっていて、江戸っ子のあつ湯好きは本当だった、などとも書かれていたね。浴槽温度については現在では規定がない。温度設定が決まっていたのは昭和30年代までで、当時はお湯の温度の高さによって殺菌効果を期待したらしいが、殺菌装置が進んでいる現在の浴槽は温度設定が自由である。ゆえに水風呂なんていうものも現れたのである。

 そして最後に新聞の取材に応じたアタシの談話が載っていた。

「……江戸っ子の熱湯好き?、昔はゆでだこになるようなあつい湯に我慢して入るのが自慢だったらしいが、今はそんな熱い湯には入らない。いろんなお風呂に入りたいっていうお客さんが多いよ‥‥」

《町内の憎まれ者があつ湯好き》なんていう江戸川柳があったなあ。

2006年12月05日

頭にタオルを乗せるのはねえ

 いつも頭にタオルを乗せてお帰りになる男性がいる。

 60才ぐらいになるのかなあ、あるいはもう少し若いかもね。頭髪がほとんどないような方だから実際より老けてみえるのかもしれないな。

 先日、このお客さんを見て50前後の男性が聞いてきたことがあった。

「オヤジさんさァ、頭にタオルを乗っけるのは銭湯のスタイルなのかねえ」

「そうね、昔は多かったんだけど、最近はめずらしくなってるね」

 で、アタシャこの男性にタオルを頭に…の謂われを説明したんだ。

 タオルを頭に乗せての入浴は今言ったように、以前はかなり見られたし、湯上がりでタオルを頭にのせて帰られる格好もまた多かったんだ。しかしそんな入浴風景も最近はごくごく少なくなっているねえ。

 このスタイルはね、伊達や酔狂なんかで始まったんじゃないんだよね。れっきとした歴史があるんだ。エッ歴史?、頭にタオルを上げることがなんでレキシなんだって?、そうレキシなの。アタシャしがない風呂屋のオヤジに過ぎないけど、湯屋を半世紀以上もやってるから、こと銭湯に関しては知識が豊富?なんでさあ。とまあエラソーに言ってはみたけど、本音を言えばねアタシの知識なんかみ〜んなモノの本の受け売りなのよ。

 そこで今日もまたその受売りの一つとして、タオルの由来を説明することにしよう。ちょっと長くなるけどアクビをしないで聞いてくれ給え。

 風呂ん中や湯上がりで頭にタオルをのせる光景はね、遠いお江戸の昔にその発端があるんだよな。以前、このブログでも書かせてもらったんだけど、江戸時代の銭湯は「ざくろ口」と呼ばれた風呂だったんだよね。ざくろ口よ−−。

 この風呂はね、三方をはめ板で囲まれた小室に浴槽を置き、その浴槽の底に膝をひたす程度に湯を入れて、下半身を湯にひたし上半身は湯気で蒸す仕組みなんだってさ。そしてね浴室の入口を低く下げて湯気の逃げることを防いだんだな。客はその低い入口の板をくぐるようにして出入りしたっていうんだな。このスタイルがザクロ口って呼ばれたんだけど、ザクロ口の語源はこの前のブログで喋ったからここでは省くとして、この風呂の形態が江戸時代の銭湯だったんだ。それが文明開化という時代の大きなうねりに銭湯形式も一変したんだ。

 明治10年頃に進取の気性に富む湯屋の先達がいたんだよね。なんでも神田の銭湯をやってた人だというんだが、このアタシらの大先輩が各地の温泉の湯槽からヒントを得て、ザクロ口を取り払い、屋根を高くして湯気抜きを作り、洗い場もずっと広くして改良風呂と名付けたんだってさ。そしたらこれが大ヒットしてね、スゴイ評判を呼んだっていうんだ。

 ところがだよ物事にはいい事があれば悪い事もあるんだねえ、それまでのザクロ口は湯気が充満してるから頭までよく温まったんだけど、改良式は湯気が天井まで上っちゃうんで慣れるまで頭が冷えてしょうがなかったらしいんだな。特に禿頭老人は頭の冷えがこたえてね。そこで湯に手ぬぐいをひたして頭にのせたたんだってさ。それから入浴で手ぬぐいを頭に乗せることが習慣になり、入浴ファッションみたいになっちゃっていうんだな。そういえば先日、ドイツ人の男性が入浴にきた時浴槽でタオルを頭にのせて入っていたもんなあ。こんな姿を見ると頭にタオルの図はジャパニーズ・バススタイル(英語だぜ)になってるんだよなあ。

 とまあ、そういうことなんだけど、お分かりいただけたかな。

「ウン、分かったような分からんような……」

「なんだ、張り合いがねえな」

 さて話題のお方がフロントへ出てきた。今日もタオルを頭に乗せてのお帰りだ。アタシャこれぞ銭湯の風俗だと、後ろ姿を眺めながら、楽しく見送った。

 どう、そこの御仁、いいもんじゃないか、アンタも今度やってみなッ。

 エッ何だって?、俺はまだハゲていないもん、だと。

 そっか、しかしもう時間の問題よ。だいぶ前の方が薄くなってきたぜ−−。

2006年12月02日

浴場の全面禁煙から半年たった

「アレ〜ッ、銭湯も禁煙かよォ」

男湯の脱衣場から中年男性の素っ頓狂な声が聞こえてきた。オヤ今頃?。アタシャちょいと出向いてご説明である。

「申し訳ないねえ。6月から健康増進法っていうもんができて、学校、病院に公共施設から銭湯も禁煙になっちゃったんですわ」

「ホウ、6月からかあ。俺、しばらく来てなかったからなあ。それにしても湯上がりの一服ができないとはねえ」

「悪いねえ、アタシも吸うんだけど店にいる時は我慢してんですわ。何せ健康増進法って厳しいものが出来ちゃったんでねえ」

アタシャ、健康ゾーシンホーを強調する。禁煙は国からのお達しである、と責任はお上のせいであることを説明する。アタシの勝手じゃありませんからと言いたいんである。

「そうかあ、今じゃ道路でも吸えないんだからしょうがないか」

「その代わり玄関を出たところに大きな灰皿を置いてあるからそこで……」

 銭湯が全面禁煙になって半年が経つ。大方のお客さんは慣れられたようで、

 今では煙草ウンヌンの声も聞こえなくなっている。時として今日のような声もあり、くわえ煙草で入ってきて「実は店内禁煙なんで……」というアタシの一言で慌てて表へUターンされる人もあったが、まあ銭湯の禁煙は一応定着したようである。

 それにしても禁煙にしてみて今更ながら愛煙家の多いことに気が付く。入浴前に表で一服つけてから見える人、湯上がりにそそくさと表の灰皿へ向かわれる人などなど。以前なら煙草を吸う光景なんか何も感じなかったんだがねえ。

 ということで、ここからはアタシ自身の店内禁煙のその後だが、大の煙草好きは「店を禁煙にしたんだからこの際アタシも……」と思わないでもなかったんだが、それがねえ……。フロントにいる時はひたすら我慢する。2時間、3時間でも、アメをなめたりビスケットを頬張ったりで耐える?んだ。家人が「それだけ我慢できるんだから、そのままズーッと続ければいいじゃないか」と言うんだが。これまた、それがねえ……となる。そしてフロント業務を済ませて自宅へ戻るとその反動で立て続けに吸ってしまう。これがまたウマイんだよなあ。我ながら意志の弱さを思い知らされる次第だ。

 さて、ここで話がちょいと変わるが、アタシの好きな読売夕刊のコラム「よみうり寸評」に昨日、禁煙の話題として川柳が載っていた。アタシャ、川柳が大好きなもんだからさっそく引用させてもらうことにしたんだ。

《禁煙の日取り決まらず30年》

 うまいよねえ。アタシはもう50年だ。

《喫煙所 禁煙仲間と鉢合わせ》

 これも気持ちわかるなあ。

 世界保健機関(WHO)の研究者もある予測を公表した。2015年に世界の死亡者の10人中1人、640万人がたばこが原因の病気で亡くなるという。

《なんでだろう 話題は健康 喫煙室》

 煙草は体によくないって皆さんご存知なんだよねえ。それでもなあ……。

《値上げして!手が出せないくらい値上げして!》

 しかし愛煙家はかなり高くなっても手をだすだろうなあ。何せ煙草は麻薬だって言った人がいたもんね。

 アタシね、ここんところ血圧が高くてお医者さんに診てもらっているんだが先生がおっしゃったよ。「アンタねえ、煙草をプカプカ吸っていたんじゃいくら良い薬を飲んでいても、ザルで水をすくうようなもんだよ」ってね。

 そこで取りあえず節煙してみようと始まったんだが、これが思ったよりムズカシイんだなあ。で、またプカプカッと、ダメだねえ。

 さてさて、最後に意志薄弱なアタシのくだらん川柳を一つ−−。

《たばこやめ、また吸い出してうまさ知る》

 どうしようもねえな。

2006年12月01日

釜屋さんて知ってるかな

 最近、敬老入浴になると見える年配の男性。そう70前後かなあ。職人さん風だが、その人が今日、アタシに聞いてきたんだ。

「ダンナんところは煙突がないけど、燃料はガスなんだってねえ」

「ええ、今の建物にするとき、当時は全都で1600軒ほどの浴場があったんだけど、まだガスは10軒もなくてデータもなかったんだ……」

「そう。そんな時によく思い切ってやったもんだねえ」

「ええ、実はね、今から20年ほど前、組合長をやっていた時、仲間の風呂屋の煙突のそばに12階建の分譲マンションができることになってね。煙突は大体8階程度なんだけど、風向きによって煙突からビル風が逆流して風呂釜にバックファイヤーの現象が起きるっていう事故が全都で結構あったんでね。そこで仲間から相談を受けて区役所の調停委員会へ話を持ち込んだんですよ。そん時ね調停委員の人が『組合長は当事者じゃないけど、この問題は今後全都に起こりうる問題だから毎回この委員会へ出てこい』となったんですな。で、1年間ぐらいマンション業者と話し合って一応解決したんだけどね」

 話がちょいと長くなっちまうけど、お客さん、こんな話はつまんないんじゃないの?。

 面白い?、じゃもう少し聞いてよね。

「そんな経験があったんで、これからの風呂屋の煙突について考えちゃったのよ。煙突があれば当然煙を出すよね。公害問題も厳しくなるだろうしねえ。そこでね、この建物を作る時にちょうどガス会社が銭湯のガスボイラ−を開発して売り込みにきたんだ。でまあゼニも掛かったけど思い切ってガスに踏み切ったっていうわけなんだ」

「そう、経費も掛かっただろうけど、毎月のガス代も大きいんじゃないの?」

「まあしょうがないですよな。労力をゼニに代えているようなもんだねえ」

「そうすっともう当然風呂釜はないわけだね、下風呂もないわけだ」

「そうガスボイラーだから釜はいらないわけだ。それにしてもお客さん風呂釜や下風呂なんてよく知ってますなあ」

「うん、俺ね10年ほど前まではK釜屋で働いていたんだ。Kのオヤジさんが亡くなって釜屋を廃業したんで、今は小使稼ぎで警備の仕事をやってんだ」

「ホウッ、釜屋さんだったのォ。じゃ風呂屋のことはよく知ってるわけだ」

 だからアタシのつまんない話にも耳を傾けてくれていたんですな。

 釜屋さん−−。浴場専門の業者で風呂釜から配管工事一式を行う職種でね。

 昭和40年〜50年代までは都内で20数社の釜屋さんがあり、浴場の風呂釜に配管工事一切をまかなっていたんだ。今ではその数も減っちゃったけどね。風呂釜は鉄製であり、標準的な物で幅1m50高さがやはり1m50ほどで長さは4mという巨大な横釜である。総重量が1トン以上もあり、風呂屋の最盛期には3〜4年に一回入れ替えなければならなかったのである。現在でも浴場の大半は風呂釜を使っている。近年の重油の高騰から風呂釜に直接ガスバーナーを取りつける簡易な装置も開発されている。そして釜の材質も格段とよくなり、加えて燃料もよくなっているので耐用年数も10年以上は持つだろう。

 次いでに今、お客さんが言った下風呂だが、これは風呂釜が入っている湯槽で釜より一回り大きなものである。その上にヒバ材の厚手な板が敷いてあり、板の下がお湯であるため床暖房以上に温かい場所だ。風呂屋の心臓部だな。

 それにしてもお客さんが釜屋さんとは懐かしいねえ。旧友と会ったようだ。

 古いことをいろいろ喋ったが、昔は釜入れっていうと忙しかったよねえ。

「そうだなあ、我々も仕事によっては徹夜もしょっちゅうあったからねえ」

 ところが今は釜入れも格段に機能化されているし、当湯のようなガスともなればスイッチ一つ総てが間に合っちゃう。職人さんと話をしていてつくづく思ったよ。時代の進歩は人間をどんどん怠け者にしちゃうなあ、と−−。






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