銭湯の年末年始
『大晦日・午後3時半〜午前1時、元日・休業、2日・朝湯 午前8時〜午後 1時、3日・休業、4日より平常営業』。10日ほど前から恒例の年末年始の日程を張り出した。
ここ十年来、変わらぬ営業形態である。
「毎年、同じだね。それにしてもお風呂屋さんは正月休みなんかないねえ」。
「そう、風呂屋はお盆も正月もないよ。年中無休みたいなもんさ。アンタ、仕事は今日まで?」
「そう。正月は5日から。だけど休みはいいんだけどさ、俺らみたいな日給は休みが多くたってそれだけ金がもらえないから善し悪しさ。
正月でも金がないから何しようかって考えてるよ」
というのは50前後の工員さん。独身である。ちょっと侘びしい。
続いてはやはり独り者の男性。こちらは電気関係の会社で働いているらしいが40半ばになるかな。アタシが「正月は田舎へでも行くの?」と聞いたら「ウン、行きたいんだけどこれがねえ」と親指と人差指で○をつくった。
もうひと方独身さんを紹介しよう。こちらも40代の女性である。3日ほど前に入浴後「良いお年を……」と言われたんだ。で、アタシャ「まだ早いんじゃないの」と申し上げたらこう返されたよ。「あたし、明日から8連休で友達とバリ島へ行ってくるの」
「ウッホッ、そりゃあスゴイ。じゃ気を付けて、いいお年を」となったんである。
世間は8連休だ、外国だと豪勢な新春を過ごされる方に、ゼニがないからって正月を持て余すお人もいる。様々ですなあ。
それにしても風呂屋の正月はお江戸の昔からせわしないものでしたよ。近年は、各浴場でそれぞれに日程を調整しそれなりに休暇らしきものをとっているが、アタシャ冒頭の年末年始をン十年もやってるよ。そして思うんだよな。
「これでも昔からみたら随分とラクになってんだよなあ」とね。
そこで、例によって「その昔」だが、もう半世紀前、アタシの小僧時代は
『大晦日・正午〜午前3時。元日・休業。2日、3日・朝湯、午前6時〜午後4時』が組合の決めごとだったが、決めごとなんか全然守られない。大晦日は仕事が終わる頃には元日の朝刊が届いていたし、2日、3日の朝湯は午前6時から仕舞掃除が済むのは午後の8時頃だったんだ。休日は月に1回だしね。まあそれだけ客も入ったが、ホントよう働いたなあと自分ながら感心するねえ。
ところが、そんなに働いた湯屋稼業だったが、昭和40年代に大阪万博を皮切りにして高度成長期に入り世間がどんどん裕福になった。言われるところの「一億総中流」だ。それまで休日も少なく長時間の商売だった町の商店などが従業員の確保という側面もあって営業時間の短縮、週休に正月の連休という形を取り入れてきたんだ。このような時代の変遷に浴場組合でも「せめて正月ぐらい従業員・家族のためにも休めないものか」という議論が起きてきた。そして実際に正月3ケ日を連休する浴場が年々増えてきたのである。
しかし、地域に密着する公衆浴場が、たとえ正月だとはいえ一斉に連休することは町の人たちに大きな波紋を投げかける。当然監督官庁の東京都も問題視するようになり、昭和50年、「正月3ケ日のうち1日は営業してほしい。そのために朝湯奨励金として1浴場3万円を支給する」ということになったんである。東京都が奨励金を出してまで「都民にために営業してほしい」と言われれば都民・利用者あっての風呂屋である。イヤとは言えるわけがない。以来、正月の連休はなくなり元日・休業、2日・朝湯、3日・休業という飛び石型と元日・2日が連休で3日・営業という2種類の営業形態になったのである。
この営業形式は平成になっても続いているが、近年は厳しい業界事情を反映して2日・3日は連続朝湯という浴場も多くなっている。さらには元日から無休という浴場もある。奨励金は1円も出ないのにである。
人並に休みたがるのは、多少なりとも余裕があるからだとしみじみ思う。
さ〜てまた新しい年がくる。新春を「また…」と書くのも歳のせいか−−。






