風呂屋のオヤジの番台ブログ

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2006年10月31日

整形外科で

 寄る年波には勝てませんなあ。ここんところ足が冷えてしょうがない。大したことはねえだろうと有り合わせの膏薬などでごまかしていたんだが冷えは一向に消えない。いやむしろつのるばかりだ。足先がシビレル感じもするんだよね。で、しょうがない、億劫だったけど近所の整形外科病院へ出かけたんだ。

 病院では、レントゲンを撮り、治療は電気と温熱療法である。

 しかし病院って相変わらずお年寄りが氾濫しているねえ。エッ、お前さんだってジジイじゃねえかですって?、ごもっとも−−。ま、年を取りゃあ誰だってどっかが悪くなりますもんねえ。

 日本は世界有数の長寿大国だそうな。医学の進歩は人間の寿命を無制限に延ばしてくれているが、しかしねえ、元気で長生きは誰でも願うことだが、反面お医者さんと薬でなんとか生かされてるようなのも侘びしいねえ。

 とまあ、冴えない書き出しになっちゃったが、まずは電気治療だ。広い治療室で5、6人が椅子に座って治療を受ける。看護婦さんがてきぱきと対応してくれる。電気のコードを患部に当てがい弱電流を軽く流してもらう。患者さんは神妙に黙々と治療を受けている。治療室に静寂が漂っている。こんな時、みなさんは何を考えているんだろ?。無の世界ってやつですかな。

 そこへ次の患者さんがやってきた。70半ばのおばちゃんである。常連さんだと見え、アタシの隣にいたやはり同年輩のおばちゃんとお喋りが始まった。

 静かだった治療室がなんとなく賑やかな雰囲気になったアンバイだ。

「あら、しばらくねえ。元気だったの?」

 アタシャ聞くともなく聞いていて思ったよ。元気なら病院へ来ますかいな。

「元気ないのよォ。目の手術をしてさあ。その手術でする注射がとっても痛いのよねえ。それでね、しばらくお風呂もだめ、顔も拭く程度にしなさいって言われたの。だから髪を洗う時はパーマ屋さんにやってもらうの。一回千円」

「そう、それで直ったの?」

「それがどうもよくないのよね」

「だったらちょっと入院しちゃったら」

 ホウ、ちょっと入院……ですかあ。気楽におっしゃいますなあ。何やら別荘にでも行くような調子ですな。

 アタシャ考えることがないからおばちゃんたちの会話を漫然と聞いていた。

 今度は80近いであろうおじちゃんが見えた。この方も先刻のおばちゃんと顔見知りらしく、気さくに声をかけてきた。

「よお、しばらくだね。なんか顔色がよくないんじゃないの」

「そうお、目の手術をしてさあ、そして今日はお化粧をしてないからね。あたしはブスだから化粧しないとだめなのよ」

「いやブスじゃないよ、ブスじゃないけどさあ……」

 おじちゃん、次の言葉を飲み込んだ様子だ。何やら奥歯に物がはさまった感じの言い回しだよ。アタシャ、腹ん中で笑っちゃったよ。おじちゃんは正直なんだ。だからブスをフォローする言葉が言えなくて次がでてこなかったんだ。

 さて、アタシの電気治療の時間が終わったな、次は温熱療法だ。それにしてもおじちゃん、おばちゃんたちの会話はおもしろいねえ。何やら談話室っていう味わいだ。病院ではなく高齢者のサロン、社交場ってな趣もあるよ。そのうち「看護婦さん、お茶頂戴!」なんて言いかねないな。

 そういやあ、この広い治療室で、調子が悪そうな生気のない顔をしてるのはアタシぐらいなもんだねえ。おじちゃん、おばちゃんにあやかってもっと元気を出さなきゃいかんですな。病は気からっていうもんね−−。

2006年10月30日

本はねえ

「今でも自転車に乗ってんですか?」と聞いてきた方は80過ぎであろうおばちゃん。しょっちゅう見えるお客さんだが、静かな人で、あまりお話はしたことがなかった。それが珍しく声をかけてきたんである。

「エッ?、自転車……?」

 ハテ?なんのことだろ、アタシャ要領を得ない。

「どこでも自転車に乗っていっちゃうって、本に書いてあったでしょ?」

 本に書いてあった……?。ハハア分かった、分かりましたぞッ。

 おばちゃんは浴場広報誌「1010・10月号」の記事を言ってるんだ。

 なるほど、アタシャ10月号の「フロント日記」に「86才になる常連のご老体が、若い時から最近までどこへいくにも自転車で、それもかなりの長距離をすっ飛ばしていっちゃう。不老長寿のようなお人」を書かせてもらったんだがおばちゃんはそのことを指しているんですな。

「ああ、あれね。あの人はアタシじゃなくてお客さんのことなんですよ」

 アタシャ、かいつまんで記事の内容をご説明したんだが、おばちゃんはよくご理解いただけなかったようですな。

「大きく出てましたもんねえ」とまたつぶやくように言われたよ。

 しかしおばちゃんねえ、あの記事のお人は86才のご老体ですぜ86才!

 いくらなんでもアタシが86ではちょいとカワイソーじゃありませんか。それとも実際にそう見えたのかなあ。おばちゃんさあ、そんなことを言われるとアタシャ人生の悲哀を感じちゃいますよ。願わくがおばちゃん、もう少し、もうちょっと、ほんのちょっぴりでも中身をみてくださいな。

 そしておばちゃんね、あの記事を書いているのは、他ならぬアタシなんですよ。おっと申し遅れました。アタシ、墨田・さくら湯のホシノツヨシと申します。以後お見知りおきください−−。

 小学校6年だという男の子を連れてお見えになったのは40代の男性。前にも一、二度お出でになっているようだ。

 そして入浴後、子供が一足早く上がってきてフロント前でマンガ本を読み出した。少々遅れて出てきたお父さんも本棚から単行本を取り出した。パラパラっと眺めている。本が好きなのかな。アタシャちょいとお聞きした「本は好きなんですか?」。お父さん、別に返事をなさらないが、うなずいたようにも思えた。でアタシャ余計なことを申し上げた。「そこにアタシの本が2冊入っているんですけどよかったら見てください」。風呂屋のオヤジはことあるごとにテメエのPRに抜かりがない。

 お父さん、これにも反応しなかったんだが、本棚へ目を向けてアタシの「風呂屋のオヤジの番台日記」を取り出した。パラパラッの、も一つパラッとめくったがすぐ本棚へ戻した。終始無言である。アタシャ少々拍子抜けだ。フツーこんな場合、何か一言あってしかるべきだと思うんだけどねえ。あまり本がお好きじゃなかったのかな。

 そういえばこの人、子供とは喋っているが、入浴料を払う時からアタシの挨拶にもひとっ言もない。寡黙なのかなあ。それともアタシなんか喋るに価しないとでも思っていらっしゃるんですかねえ。

 さらにアタシの本も、しょせん風呂屋のオヤジが書いたんだろ、そんなものこれまた見るに価しない、なんですかなあ。どうもヒガミっぽいね。

 けどねえ、最低の挨拶ぐらい浮世の仁義だと思うんですが違いますかな。それにしても最近、この手の人が多くなりましたなあ。ケータイのメールなら日がなパチパチやっているんですけど、コンニチワもよう言わない人が増えている。これからのご時世、言葉が要らなくなっちゃうのか、とつまらん心配をしちゃうよ。沈黙は金、という言葉もあるけどさァ−−。

2006年10月29日

中年とはねえ

 時折見えてサウナに入られる50代の男性。背が高く、ちょっと茫洋とした雰囲気を感じさせる人でもあるが−−。

「オヤジさんの番台ブログをよく見させてもらうんですけど面白いですねえ。オヤジさんは文章がうまいんですねえ」

 ホホウ、ブログを見てくれますかァ、面白くてウマイと言ってくれましたなあ。うれしいねえ。

 アタシャ、どんな言葉であれ、それがお世辞、社交辞令、ヨイショと見え見えで分かっていてもすぐうれしくなっちゃう。気分よくなってしまう。いたって単純。そして「ウン、この人は文章のわかるお人だ」とテメエ勝手に解釈してにこにこである。

「そうですかあ、有難うございます。どの道、風呂屋のオヤジの綴り方ですけどね」と一応ケンソンするフリもする。

 そしてこの方、今日はちょっと硬い話を振ってきた。

「オヤジさんの番台ブログやフロント日記で、よく『中年の人』っていう表現がでてくるけど、中年ってあたしたちのような世代を言うんですか?」

 ホウ、よく読んでくれていますなあ。スルドイご質問だ。茫洋とした雰囲気に似合わない。こりゃあ本物の文章通だぞ。

「そうね、今は高齢化時代で、うちなんかの敬老入浴の高齢者を見ていると、65才なんか高齢のうちに入らない。壮年もいいとこですよ。だからアタシは勝手に50、60代を壮年といい。65から70過ぎまでを中年と呼んで、80以上の方をご老体としているんだけどね」

「そうですかあ。そうすっとあたしらはまだ壮年の部類ですかあ」

「いや、アンタなんかまだ青年さ」

「ウッヘッ、青年かあ……」

 茫洋さん、ちょっと苦笑いを浮かべ、それでも満更ではないといった表情も見せながら脱衣場へ入られた。

 そこでアタシャ後刻、辞書を出し改めて中年を確認したんである。

 辞書には「青年と老年との中間の年頃、40歳前後の頃。壮年」と述べられている。フーン、壮年と同義語かあ。じゃ壮年とはなんぞや、である。「壮年とは血気盛んで、働き盛りの年頃の人」だと。ウンこれなら分かる。

 しかしねえアタシには「中年」の語感に何やら「年を重ねて」というジジイに近い感じがするんだよね。中年肥りなんていうしね。そして、これは人生50年といわれた昔の感覚なんだ、とアタシなりに解釈している次第さ。

 年齢の表現については、先日このブログでも書かせてもらった「日本語八ツ当たり・江国滋」のなかで江国さんはこう説明されている。

「私、当年五十二歳(昭和六十一年現在)。公用語に従えば「実年」である。人間の寿命ものびたし、社会的活動期間ものびたために、青年・壮年・老年というこれまでの区分ではまかないきれなくなったので、壮年と老年のあいだに適当な呼称をとり入れようという趣旨で、厚生省が公募して決めたばかりの、出来たてほやほやの新造語で……マスコミが伝えるところでは評判よろしからず。壮年と老年のあいだには、いままでも呼称がなかったわけじゃない。

「初老」というれっきとしたことばがあった。何かこう、しみじみとしたものがこのことばにはこもっていて、私は好きである。すくなくとも「熟年」だの「実年」と呼ばれるより「初老」と呼ばれたい。「初老の紳士」なんてすてきじゃないか……。

 江国さんは「初老」という言葉をあげていられるが、アタシャどうも「老」とつけば何やらジジイの雰囲気を感じてしまうんだけどねえ。

 ハア?、オヤジはもう初老をとっくに過ぎているから何て呼ぶんだ、ですって?。ウーン、少なくとも「老いぼれ」とは言われたくないねえ−−。

2006年10月28日

まじめが一番

「おやッ、久しぶりですねえ」

「うん、またお願いしますよ。家にばっかりいたんじゃしょうがないからね」

 かっての常連さんである。もう70過ぎでしょうかなあ。この方に限らず、最近はその昔の常連さんが敬老入浴デーになるとぽつぽつと顔を見せるようになっている。「何にもやることがないしねえ」が決まり文句のようでもある。

 今、その昔の常連さんといったが、あれはいつ頃までだっただろうか。当湯(うち)の商圏に同潤会アパートがあったんですな。4階建が立ち並ぶ大きな集落で、古いアパートだから当然風呂がない。うちを含めて近隣の銭湯にとってはお客さんの金城湯池ともいえる存在だったんですよ。それが時代とともに近代的な高層マンション群に建て替えられて、これまた当然、風呂付きであり銭湯利用者ではなくなってしまった。

 それが近年、敬老入浴デーになるとまた顔を見せられうようになったんである。高齢とともに第一線から離れてお暇ができたんでしょうが、以前は毎日の常連さんであったから皆さん懐かしい顔である。

 またまた前置きが長くなってしまったが、別に同潤会の人たちを書こうっていうわけじゃない。前にも書いたことだけど、高齢者の定年後の対処法についてちょっとスケッチしてみたいなと思ったんである。

 前段の方はこう続けられた。アタシの「もう何もやってないんですか?」に対してである。「だってさ、何かをやりたいったって、この年じゃもうどこも使ってくれないよ。なんか少しぐらいやってたほうがいいんだけどねえ」。そしてまたこうも続けられるんだ。「年金なんかすぐなくなっちゃうしなあ」

 このような人は多いですなあ。しかし、毎日、何をやろうかというさしたる目的もなく日がなテレビとともに過ごす生活もラクじゃないでしょうねえ。

 そこで無料の敬老入浴を楽しんで世間の風に当りたい−−は悪くないと思いますよ。久々の銭湯回帰、ゆっくりくつろいでください。

 続いては第2の職場で働いている方である。まずは隔日にお出でになる70近い男性。定年後はしばらく職がなかったようで風呂も時々になっていたし、見えると「何かいい仕事がないかねえ」が口癖だったが、最近、掃除の会社に働き口をみつけたようだ。「今日は朝6時から3ケ所のビル掃除をしてきたけど、疲れたなあ。けどさ時給は安いんだけど、仕事があるっていうことはいいよ。俺、失業してっときは風呂銭もなかったもんなあ」

 ホホウ、この人は仕事が一番!と強調されましたな。

 次いでは定年後、近所に引っ越してきたという70近い人。

「今日は夜勤なんで早く来たんだ」

「夜勤?、会社の残業かなんか?」

「いや、あたしね定年になって今、警備の仕事をしてんのよ。道路とかいろいろの警備をね。それで時々夜中の勤務が回ってくるんだ。一晩中だから交替もあるんだけど、眠くなっちゃうんだよねえ。そうかといって夜勤だから昼間寝るようにしてんだけど、昼は眠れないんだよねえ」

「ホウ、それはなかなか大変ですねえ」

「そッ、だけどさマジメにやってると何だかんだって使ってくれるんだよね。あたしらのような年になるとフツー仕事なんかもうないもん。人間、マジメが一番だね。なんたってマジメが一番……」

 この方はマジメが一番!、と強調されましたよ。そうですよねえ。なんたってマジメに勝るものなし、ですよね。

 そういえがこの頃、表を歩くとやたらと工事現場がある。そんなところにはかならず制服を着て旗を持った高齢の人たちが見られる。皆さん、セカンドライフに懸命なんですなあ。そしてこの人たちも、仕事が一番、マジメが一番と励んでいられるんですな。オレも見習わなくっちゃな。

 そッ、チャランポランはいけませんぞ!、風呂屋のオヤジよォ−−。

2006年10月27日

またまた外人監督にねえ

「あ〜あ7回で3対1かァ。もうキマリだな。日ハムには勢いがあるよなあ」

「それにしても落合、ダメだったなあ。落合は今年で辞めるんだよな。だからセで優勝したときに泣いたんだ」

 男湯から声高な話し声が聞こえてきた。常連の50代の男性二人だ。パチンコマニアで年中パチンコ屋の話をしているが、さすがにプロ野球の総決算ともなれば話題はパチンコより上ですかな。

 今年の日本シリーズは中日VS日ハムという対戦になったが、期待された熱戦もなんと日ハムの4勝1敗という一方的な結果に終わってしまった。

 それにしても中日は不甲斐なかったなあ。初戦を勝ったあと4連敗はどうにもいただけなかった。戦前の予想通り、両チームに実力差は見られないと思うが、シリーズのような短期決戦では、お客さんが言ってたように「勢い」の違いが全てを決してしまったんだろうねえ。

 結果を見届けてお帰りになる中年のダンナがフロントで言う。

「俺ね、ジャイアンツが好きだから、日本シリーズはいつもセを応援してんだけど、今回は日ハムだったんだ。どうも落合が好きじゃなくてねえ。それと俺は日ハムの新庄が好きでねえ」。ホホウ、ご年配でも落合より新庄ですかあ。

 続いては近所の居酒屋のご主人。G党でありセ・リーグの応援団でもある。毎日の常連さんで、昨日は1勝3敗となり剣が峰に追い込まれた中日に「明日は絶対中日が勝つよッ見ててご覧!」とリキまれたんだが敢えなく敗れてしまった。「ダメだったねえ」のアタシの言葉に「うん、ああ打てないんじゃあ、どうしようもないよッ」と吐き捨てるように言われましたっけ。

 ところで今回の日本選手権は「新庄シリーズ」といっても過言じゃなかったねえ。春先に「今シーズン限りで引退……」などとスーパスターのO・Nもやらなかったことをブチ上げて大きな話題になったが、それから1年、日本一の大舞台で千秋楽を迎え大粒の涙を流すなど、まさにドラマ以上のドラマを演出したよ。とにかく新庄人気はすごかった。

 試合中でも新庄専用のカメラがあるのかとさえ思わせるほど、守備位置の新庄、ベンチの新庄を追いかけて、オレには煩わしいほどだった。

 4−1でほぼ大勢が決まった最終打席で、万感迫ったのか大粒の涙を流したが、涙目で打席に入ってもボールなど見えようはずがない。簡単に三振しちまったけど、ファンにはこれすら感動また感動なんだろうなあ。

 アタシのような古い人間は「パフォーマンスに精を出す前にもっと厳しく練習に取り組んでいたら、新庄のあの素質からいってタイトルの一つや二つは取っていただろうに……」と思っちゃうんだが、そうなっちゃうと今のような新庄人気はなかったってことだ。新庄にとってはパフォーマンスこそ生き甲斐であり野球人生だったんだろうな。ま、そんな新庄スタイルも多くのファンには「爽やか、かっこいい」と写るんだろうし、見せるプロだからこれでいいのかもね。とにかく新庄は千両役者だったよ−−。

 さて最後にもう一つ。昨年のロッテ・バレンタインに続いて今年も日ハム・ヒルマンが日本一の監督になったが、日本人監督の存在感が薄くなっていくねえ。アタシャこんなことにツマラン心配をしちゃうんだ。

 だってね、日本のスター選手がどんどんメジャーになびいて海を渡っちゃうし、反面、メジャー崩れの?外国人選手が日本野球の中軸を占めて大活躍だしね。その上、監督までが外国人に席巻されちまうようじゃ日本球界はますます大リーグのマイナー化されていっちゃう。

 プロ野球の生みの親といわれた正力松太郎が「将来は太平洋を夾んで真のワールドシリーズの実現」と言っていた壮大な理想にアタシャ若い頃から期待をしていたんだ。それがねえ−−。

2006年10月25日

軍歌が聞こえてきたよ

 12時少し前、さてお客さんもいなくなったようだ。そろそろ仕舞だな。と、脱衣場から歌声が聞こえてきた。女湯だ、それも軍歌じゃないか。

♪ ここはァお国を何百里ィ〜 ♪ 低く静かに流れてくる。

 ホウめずらしい、ホントにめずらしい。歌っている方は常連の奥さんだ。もうじき65才だと聞いているが明るい方で、いつもなら知り合いと賑やかに談笑してるんだが、今日は遅かったせいかお一人の様子である。

♪……離れて遠ォき満州のォ あ〜かい夕日に照らされてぇ〜 ♪

 アタシャちょいと手を休めて耳を傾けたよ。懐かしいねえ、しかし60半ばの人ではあの軍国時代を知らないだろうに、それにしては……。

 奥さんが帰られる。フロントでアタシャさっそくお聞きしたよ。

「軍歌なんてまた懐かしい歌をよく知ってますなあ」

「あら聞いてたの、恥ずかしい。あたしね、父親が戦争から帰ってきて、歌が好きでよく歌っていたのよ。だから自然と覚えちゃって。それとね……」

 ここでちょいと一拍おき、笑いながら続けなさった。

「孫がね、この間、ココア頂戴!っていうんで、つい、ここは(ココア)お国を何百里ィって歌っちゃったら、それから孫がココアをお国・オクニって言うようになっちゃってさあ。それにしてもダンナさんもよく知ってますねえ」。

 知ってますがな。アタシャ子供の頃はもう熱烈な軍国少年でねえ。早く大きくなってお国のために頑張りたい、一ンちも早く軍人になりたいと願っていたほどなんですよ。それが、小学校4年生の時、昭和20年8月でしたな。夏休みの暑〜い日だったと記憶してるけど、日本が米国に無条件降伏しちゃったじゃない。アタアシャもう悔しくて涙がでたほどだったんですよ。

 ハア? 軍国教育の恐さですと?、まあそうかもしれませんが、この際、そんなしたり顔で言わんでください。愛国心だと解釈してくださいな。今のニッポン人に愛国心なんてありますかいな?。と風呂屋のオヤジも、したり顔で言っちゃいますが、そんなですから軍歌なんかもうほとんど覚えちゃいましたなあ。今でもいろいろ歌えますよ。ざっと挙げてみても「出生兵士を送る歌」「予科練の歌」「加藤隼戦闘隊」に「ラバウル航空隊」などなど枚挙にイトマがないほどなんですよ。

 しかしねえ、こんなことを喋っていても今の若い人にはチンプンカンプンでしょうなあ。風呂屋のオヤジは浦島太郎か?な〜んて言われちゃうますなあ。

 エッ、ウラシマタロウってなんだって?。ウーン、時代だなあ。

 しかしねえ、ともう一回言いますけど、アタシらの世代は多かれ少なかれ軍国時代の影を背負っちゃっているんですよね。ですからアタシなんかは今でも軍人崇拝?です。オイオイ、この平和なご時世に正気かい?。

 ですから、ちょいと前までは仲間とスナックでカラオケに興じたりした時でも定番は軍歌でしたなあ。そして居合わせた若い人に「オレは予科練の生き残りなんだ。霞が関育ちで特攻隊よ」などと見得を切ったですよね。そん時の若い人は、もう風化されている特攻隊を知っていてね、そうですかあ、などと尊敬の目を?向けてくれたとアタシャ勝手に思い込んでいましたがね。

 ところが年配の方にはアタシのイイカッコシイも通じませんや。「子供で戦争へいったのかい?」などと逆に冷やかされる始末でしたよ。実際の戦争経験者はこんなとき、あんまりイキがりませんね。戦争とは暗い青春の想い出なんでしょうねえ。アタシのように軍歌大好きなんて輩は戦争の悲惨さを知らない人種なんだと思いますよ。

 それにしても今日は古い話になっちゃったけど、北朝鮮がテポドンだ核実験だと暴走しちゃってる昨今なんとなく穏やかならざる風が吹いてきたようだ。

 また軍歌の時代になっちゃうのかなあ−−。

2006年10月23日

菊花賞は荒れたねえ

 冷たい雨がシトシトと降り続いている。気温がぐっと下がってきたようだ。折角の日曜日もこれでは商売にならない。風呂屋は泣きが入る一日だ。

 ヒマなもんで先刻行われた菊花賞の新聞予想を改めて眺めていた。そんなところへ入ってきたのが40過ぎの馬券マニア。もちろん男性である。

「荒れたねえ……」

「ダメだった?」

「あんな馬券、取れっこないよ。だってさあ新聞も全然無印だもん」

「そうね、この新聞も本命サムソン一色だもんねえ」

 菊花賞は大荒れだった。例によってクラシックレースの結果を掲示板に書いておくんだが、競馬ファンのお客さんは配当を眺め、一様にあ〜あと軽くため息をつかれる。

 しかしアタシャここんところなんとなく思うんだけど、競馬人気が以前より落ちているような気がするんだ。脱衣場でもかってのように賑やかな競馬談義が聞こえてこない。これはプロ野球についても当てはまる。競馬界も野球界もスーパースターと呼ばれる存在がいないせいかねえ。

 さてレースをちょいと振り返ってみよう。人気は「皐月賞・ダービーを制したメイショウサムソンの3冠なるか」が焦点で断トツの一番人気である。新聞予想も◎○がズラッと並んでいる。ところが走ってみたらなんと4着の大惨敗で、頭は無印のソングオブウインドが飛び込んできた。2着は2番人気のドリームパスポート。馬単24,280円、3連単は144,520円となった。

 そこでまた新聞に戻るんだけど、新聞の予想欄には「サムソン3冠つかむ」の見出しで8人もの予想屋さんが18頭の出走馬にそれぞれ8、9頭に印をつけてんだがオールハズレ。ちなみに3連単は12通りも上げてんだけどねえ。

 まあ予想のプロであろうおヒトが軒並み外してるんだから、競馬の予想ってそれだけムズカシイんだろうなあと思う反面、明けても暮れても馬と睨めっこ?をしている人たちが全員、的外れっていうのも情けないような気がする。

 アタシャちょいと思うんだけど、一流紙の予想屋さんは、多くの競馬ファンの財布を預かるような一面もあるんじゃないのかな。新聞に掲載されている予想に乗ってなけなしのゼニを馬券に投入する人も多いだろう。いやほとんがそうなんじゃないか。その結果オケラ街道をトボトボじゃカワイソー。

 だからといってアタシャここで予想屋さんに文句をつけるような大それた気持ちは毛頭ない。しかし的中したら大当たりィ!と大書するんだから外れた時は全滅でした!と……必要ねえか。新聞の予想はあくまで参考だもんな。

 そういえば、万券のナントカてな異名をもつ予想屋さんは、菊花賞万馬券の大波乱で穴党には格好の舞台となったんだが、かすりもしなかったねえ。

 アタシャ、若い頃の馬券キチ○イ時代にある人から言われたことを思い出したよ。「馬券の名称は勝馬投票券なんだ。競馬の必勝法は、荒れるレースか、固く収まるかの見極めができるかどうかに尽きるんだ。なんでもかんでも穴を掘ればいいってもんじゃない。掘っていいのは炭坑節よ」ってね。

 ♪ 掘れば出てくゥるゥ 黒ダァイヤァサノヨイヨイ −−。

2006年10月22日

大言壮語

 大言壮語という言葉がある。広辞苑によれば「自分の力以上に大きなことをを言うこと」となっているが、銭湯にもそんな言葉を吐かれるようなおヒトがいる。今日登場願うのは80過ぎのご老体である。以前にもこのブログに書かせてもらったことがあるおヒトだが、個性的というのか灰汁(あく)が強いというのか、とにかくそんな御仁である。

 お見えになるとフロント前の椅子に「ヨッコラッショ」と座りやおらご自分のことを話し出される。アタシが何も聞かないのに話し出される。

 最近とみに足が不自由になったとみえ杖をついてヨッタンヨッタンの感じでお出でになるんだが、お口のほうだけは衰えをしらない、滅法達者である。今日は食べ物の話を切り出された。

「この辺はうまいものを食わせる店がまるっきりないね。あそこのラーメン屋なんかまずくて食えねえよ」

「そうですかなあ、あそこはうまいって評判ですよ。店のおやじさんは小僧から仕上がった生粋の職人さんだし、ラーメンもそうだけどチャーハンやウマ煮なんか評判がいいですよ」

「なあに、あんなもん食えた代物じゃねえよ。俺ね、いつだったか言ってやったんだ。人参使ってねえんだろってね、そしたら、よくわかりますねえ、なんて言いやんの」

「人参ってなんのこと?」

「スープよスープッ。玉ネギなんかの安いもんばっかり使ってんだよ。俺はね昔人形町の××に働いていたんだ。エッ××知らないの?、人形町の…っていう大きなビルの横にあってさあ、有名だよ。そして築地の☆☆にもいたんだ。エッ☆☆も知らないの?、しょうがねえなあ。とにかく俺は中華を作らせたらうまいもんよ。だからそこらのもんなんか食えないんだ」

 ホウ、俺はスゴイんだ−−ですかあ。この方ね、数年前に奥さんを亡くしてて現在独り住まいの様子なんですな。

「じゃあ自分の食い物はみんな自分で作ってんですね」

「そっ、スープだろうと何だろうと材料があればみんな自分でやっちゃうよ」

「材料も自分で買い出しにいくんですか?」

「それが億劫だからついつい有り合わせのもんでがまんしちゃうんだ」

 ヤレヤレ、天下の料理人も普段はロクくなもんを食ってなさそうですな。

 この方ね、以前は屋台でラーメンにお酒などを売っていたんだが高齢のために自然廃業になったらしい。誰にでも大きな口を聞きなさるせいか「なんだいエラソーに言ってるけど屋台のラーメンを引売りしてたんじゃないか」などの批判もアタシの耳に入ってくる。

 そしてこのヒトのもう一つの得意話に戦争がある。折りに触れて話されるんだが「俺ね、インパール作戦の生き残りなんだ」がオハコでもある。

 インパールとは第二次大戦の末期に日本軍が侵攻を企てたが死者ン万人を出して大敗した戦史に残る戦いだったのである。

「商売をしてっ時、酔っぱらったチンピラがからんできたことがあったんだ。でね、そん時言ってやったんだ。俺はな、インパール作戦という大戦争で生き返ってきたんだから今はもうフロクで生きてんだ。恐いものなんか何もねえんだッってタンカを切ったんだ。そしたらチンピラの野郎、おみそれしましたなんて言いやがんの。とにかくあの戦いは凄かったよ……」。

 ご老体、アタシがホウホウと聞くフリをしてるから話に止めどがない。で、アタシャ適当に忙しいフリをする。そうすっとご老体、一席終了とばかりヨッコラショっと腰を上げ、ヨッタンヨッタンで脱衣場へ向かわれる。

 インパ−ル戦士で料理の鉄人でもあるご老体ねえ。おみ足がご不自由のようですが、たまにはうまいもんを食ってさァ体を養生してよね。

2006年10月21日

ヒトなのよ

「あたしの甥っ子が繊維関係の仕事をやってんだけど、シャツのボタンつけを手伝ってくれないかって言うのよね。納期が迫っているらしく、おばさんなら何でもできるから手伝ってって言うの。これが結構難しいのよ。けどさあ、あたしって頼まれるとイヤって言えないヒトなのよ」

 70過ぎで独り住まいのおばちゃんである。普段は着付けのような仕事をなさっているというが、いつも決まった時間にお見えになる。そしてフロントで近況報告というのがパターン。

「今日ね、お昼ごろタクシーでK町へ行ったんだけど、タクシーを待っていたら知り合いがバス停で、やはりK町へいくんだっていうから一緒にのせていったのよ。あたしってすぐタクシーに乗っちゃうヒトなのよね」

 アタシャ「ホウ、そうですかあ」と聞いているんだが、どうもアタシにはこの「……のヒトなの」という言葉に馴染めない。気になるんだよねえ。「……ヒトなの」の語感には何やら自慢げで得意げな響きがある、ような気がする。

「あたしはできる人間なのよ」と言ってるようにも聞こえてくるんだ。ウーン

 今日もまたおっしゃったか−−。

 しかしねえ、気にいらないといって「あなたの喋り方はおかしいです、間違っていますぞ」などとはそれこそ間違っても言えるもんではない。学者じゃないんだから。何よエラソーにとご反論を受けること必定だ。

 そこで思い出したのがだいぶ前に読んだ「日本語八ツ当たり・江国滋」である。この本にはアタシが気になる「……のヒトなの」という語法について触れた項目があったんだ。アタシャ古い本箱(といっても段ボール箱だがね)をがさごそ探し出した。あったあった、平成5年発行の新潮社の文庫本である。

 ということで本の内容を書かせてもらうんだが、その前にちょっ一言。

 アタシね、江国滋という作家が大好きなんだ。一番好きだといってもいい。とにかくうまい文章を書く人なんだよねえ。文学の世界で名文家としてつとに知られている大家をアタシごとき一介の風呂屋のオヤジが「文章のうまい人」などとはまことにおこがましいが、そう感じるんだからしょうがない。どこがうまいか、と懸命に読んだものだがよくわからなかった。とにかくうまいんだ。

 さて本題に入ろうか。「日本語八つ当たり」の中の「ぬけぬけと」という項である。

……ひところ、女性たちのあいだで『あたしってなになにするヒトなの』という式の妙な語法がはやった。年端もいかない女子高校生あたりがおもしろがって口にするならまだかわいげがあるけれど、どういうわけか、ハイミス以上の女性がもっぱら愛用していたように記憶する。

「あたしって、人にものをあげるのが好きなヒトなの」

「あたしってじっとしていられない人なのよね」

 ひそかにご尊敬申し上げていた新劇畑の大女優が、テレビのトーク番組の中でじつにしばしばこの語法を濫発しておられたのを見、聞きしたときは、幻滅を感じるより先にはずかしくて、はずかしくて、尻のあたりがむずむずした。「あたしって」という一人称に「ヒト」という三人称を接木するのは不自然でその不自然なところが洒落た言語感覚なのだという共通認識が、女性たち、とりわけ才女とか才媛と目される諸嬢たちにはつよく働いて、それであっというまに伝染したのかもしれない。あの接木は不自然などというものではなくて、あれは乱暴というものである……

 いかがですかな。得意げに、上品に、とでも思ってお使いなさっている「あたしってヒトなの」のセリフが実は乱暴な言葉遣いなんですってっさ。

 アタシ風呂屋やってるヒトなの……。バッカじゃなかろうか−−。

2006年10月19日

長生きの時代ですからねえ

 銭湯には当然ながら多様なお客さんがお見えになる。

 自営業の方からサラリーマン、工員さん。職人の親方におアニイさん、それに定年後のセカンドライフにビルの掃除や自転車整理の人。公務員だというお方もみえますな。さらに年金生活の方も増えていますなあ。

 そしてこれも当り前ながら十人十色の性格を見せますよ。お喋り好きとヒトに無口なヒト。ご自分の自慢話が主なヒトにグチばっかりのヒト。人の噂がやけに好きなヒトからスポーツ・芸能・政治などに評論家を気取るようなヒト、ヒトヒトヒト…。お客さんのキャラクターを挙げているだけで紙面がいぱいになっちゃう。それだけにフロントはどなた様にも気持ちよく対応する義務がある。ウンウンと合ヅチをうったり、ホホウなるほどねえと感じ入ってみたり。

 ヤだなあと思うことがあっても口で笑って心で泣いて(おおげさな)気分よく応対しなけりゃならない−−と書いて、でもなあ……なんて思ってもいる。

 さて、例によって前置きが長くなっちまったけど、今日はそんな中からお年寄りの辛口トークをちょっと紹介しよう。

 まずは80のご老体である。数年前までは屋台のラーメン屋さんをやっていたというが現在は引退の身だそうな。滅法元気な人だったがここんところ足が不自由になったとみえ杖をついてやってきなさる。しかしお口の方はまだまだ達者そのものである。

「なんか胸がムカムカするんでB病院へいったんだけどね、聴診器をちょこっちょこっと当てて、大したことがないからこの薬を飲んでいなって薬もらって帰ってきたんだけどさあ。5分ぐらいの診察で待つのが3時間だよ。待ってるだけでツカレちゃった」。

 ハイ、よ〜くわかりますよ。アタシも最近病院へ行くようになっちゃったけど、病院とは待つことと見つけたり−−ですな。

「とにかく病院は混んでるよ。俺もそうだけどそのほとんどが年寄りなんだよな。年取れば誰だって医者にかかるから当り前だろうが、俺、思ったんだけど今人間が長生きになったのは医者と薬で生かされているようなもんだよなあ」

 ホホウ医者と薬で「生かされて」いますかあ。なるほどねえ。

 そういえば先だって70半ばの自営業の人が言ってましたなあ。

「景気が悪くってしょうがないけど、今忙しいのは病院と葬儀屋さんだよな。高齢化時代だから年寄りがワンサと病院へ押しかける。そして病院はお迎えの来た人を順々に葬儀屋さんへ送り込むって寸法なんだよな」

 さらに、こんなことを言われたご老体もいましたっけね。

「こう年寄りが増えたんではそのうち日本は高齢者で溢れ返っちゃうよな。俺もそのクチなんだけどね。おまけに子供がやたらと少ないんだろ。年金を払う人がどんどん少なくなって、もらう人ばっかりじゃ将来どうなっちゃうのかねえ。俺はもう先がないからいいけどさ……」

 仰せごもっとも。人口が逆三角形現象になったんでは日本沈没にもなりかねない。ということで、ここからはアタシの話?になる−−。

 今日の新聞に「東京都、小中学生の医療費1割補助」が報じられていけど、近来は赤ん坊の分娩費の補助から子供・乳幼児の医療費の助成なども行われている。国は遅まきながら少子化対策に懸命になっているんですな。アタシャこんな記事を見ると思い出すねえ。アタシが子供の頃、そう戦時中の大日本帝国の時代だ。国は戦力増強手段として「生めよ増やせよ」をスローガンに掲げていましたなあ。それが60年後の平和ニッポンに再び甦ってきた。生めよ増やせよ……歴史はまさに繰り返すだ−−。

2006年10月18日

毎日新聞の夕刊に

 ホウッ、大きく取り上げてくれましたなァ−−。

 毎日新聞夕刊である。「特集ワイド」として、それこそ特集されているんだ。エッ、何のことかって?、

 ハイ、銭湯記事なんです。「ああ極楽!スポーツの秋・ひと汗かいたらひと風呂いかが?」の大きな見出しで2面の大半を使って掲載されてんですよ。アタシャ新聞を広げてウナっちゃいましたよ。スゴイなあ−−。

 実はねこのニュース、今月の初めに毎日新聞の記者さんの取材を受けて「風呂の日」である10月10日の夕刊に載せてくれる予定だったんです。風呂の日は「銭湯まつり」として銭湯タオルプレゼントなども行うんで、それに合わせて銭湯ニュースが発信されるなんて素晴らしいじゃない。で、アタシャ大いなる期待を持って10日の夕刊を待っていたんですわ。ところがあろうことか北朝鮮が核実験なんていう大暴走をしちゃったじゃないですか。核の前には銭湯の記事なんか吹っ飛んじゃいますよねえ。憎っくきキムジョンイルめッ!とアタシャ先日のブログで悲憤慷慨、ヒフンコウガイですよ。ア〜アでしたなあ。それが今日、一週間遅れで出してくれたんです。うれしかったですねえ。

 ということで記事に参りましょうか。

「疲れたなあと感じた夜は、かばんにタオルをしのばせて、会社の帰りに銭湯ののれんをくぐる。熱々の湯につかり、高い天井や壁の富士山を眺めているとなんだか心がやすらいできて斬新なアイデアが浮かんできそうな気分になる。スポーツの秋である。ひと汗かいた後のひと風呂はいかがでしょう」。というイントロから本文に入っていく。

 まずは「貴重なレトロ」の項から「これぞ銭湯」として大田区の明神場が紹介されている。唐破風作りの銭湯の伝統的だった重厚な浴場の写真も掲載されている。さらに最近とみに注目を浴びている富士山の背景画も大きく写っている。経営者の「子どもたちの笑い声が高い天井に響くと、建物が生きているなあと実感します。お客さんに『気持ちよかったわ』と言われると、やめられません」の談話も乗っていましたけど、アタシもよ〜くわかりますねえ。

 次いで「番台ブログ」の項で、萎びた風呂屋のオヤジの写真も載っていたっけ。オレって見る度にジジイになっていくなア……情け無いが実感だ。

 そしてアタシの話だが、アタシャ長年業界にウゴメき、性懲りもなく駄文を弄しているんで、折りに触れて取材を受けるんだが、いつも定番的な話しかできねえなあ、と思っちゃうんです。もう少し「銭湯元気です!」と分かりやすく喋れねえもんかと反省するばかり、今日もそうでしたなあ。

 続いて「詩人であり『スコッチと銭湯』などの著書もある田村隆一さん(98年死去)が77年に毎日新聞に載せた「銭湯文化論」が紹介されている。そして「30年後の今読んでもホットなご指摘である」と書かれている。

「銭湯すたれば人情すたる。ああ、銭湯を知らない子供たちに、戦争だけでなく、銭湯を教えよ。集団生活のルールとマナーを教えよ。自宅に風呂ありといえどもそのポリ風呂は親子のしゃべり合う場にあらず、ただ体をあらうだけ。タオルのしぼり方、体を洗う順序など、基本的なルールはだれば教えるのか…だれかとともにはいるものこそ銭湯。われはわがルーツをもとめて銭湯へ」

 さらに銭湯記事には欠かせない存在でもある町田忍さんの「地域の触れ合い最後のとりで」というコラムも掲載されている。「……高層ビルが増えて、街が殺伐とすればするほど、銭湯のようなところが貴重になる。日本人にとって銭湯は身近なコミュニケーションの場。年代に関係なく、地域の人たちがふれあえる『最後のとりで』です」

 そして「ああ極楽の銭湯よ」と結んである記事は全編これ銭湯賛歌といってもいい。湯気が立ち上ってくる感じだ。

 アタシャ今、書いてくれた記者さんに心から感謝するとともに、多くのお客さんにぜひぜひ読んでもらいたいと願っているんです。読んでよね−−。

2006年10月17日

浴場が禁煙になって5ヶ月

 30代後半のご夫婦…なのかな。脱衣場の仕切り越しに大きな声で「ヨッちゃん!何時に出るうッ」「何時でもいいッ、とにかく早く出ろッ!」などとポンポン言い合うお二人の様子に仲のいい友達みたいな雰囲気である。時折のお客さんだが今日も来るなりポンポンである。

 女性がフロントで石鹸を求めた。石鹸は3種類を置いてあるが、ケースの中から石鹸をどれにしようか出して戻して……。すると男性が言う。

「早く決めろッ!、そっッそれがいい、それにしろってんだッ」

「ヨッちゃんウルサイッ、少し考えさせろッ」(これ、女性のセリフである)

「いいから早く決めろッてんだッ」

 聞いていると何やらケンカをしているようだが、乱暴な言葉使いの中にアタシャなんとなく暖かい味を感じるんだ。

 そして入浴となり、湯上がりでの会話となる−−。

「ヨッちゃんタバコ吸えないよ。禁煙になったんだもん」。

「そッ、お前な、日本国憲法第25条を知ってっか?。憲法第25条にな、エ〜ト、健康増進法第25条の定めにより、え〜と、ジュ…ジュ……」

「なに言ってんだよヨッちゃん。ジュジュ、ジュジュって口が回ンないの」

 アタシャ思わず笑っちゃったよ。男性ウジは壁に張ってある「店内禁煙。健康増進法第25条の定めにより受動喫煙防止のため店内の喫煙を禁止します」

 というポスターを読んでいたのである。

「ジュドウキツエンのため禁煙にします、っていう憲法ができたのよ。だからタバコは表で吸わなきゃお前なケンポーイハンで逮捕されっちゃうぞ」

 愉快なお二人だ。そして「さッ外で一服だ」と肩を並べてお帰りになった。

 お客さん、店内で吸えなくてゴメンね。ケンポーイハンだもんねえ。

 銭湯が店内での全面禁煙を実施して5ケ月が経った。当初はお客さんも「湯上がりの一服も取られちゃうのかよォ」といった声も若干聞かれたが、世間全般が大きな禁煙潮流のせいか、さしたる不満もなく禁煙が定着したようだ。

 その代わり、といっちゃなんだが、表の入口脇に置いた大型のスタンド灰皿が大奮戦だ。

 いつもご夫婦で見える中年の方、禁煙以来奥さんが一足早くフロントへきて入浴料2人分を払われる。ダンナは表の灰皿で入浴前に一服をつけて悠然と入ってくる。帰りはその逆。ダンナが一足早く出てきて表で湯上がりの一本となる。さらにフロントで奥さんを待つのが常だったダンナが、やはり禁煙この方ロビーの椅子には座ろうともせず表へスタスタ。そしてゆっくり灰皿に向かって紫煙をくゆらせる。まことにウマソーである。

 そういえば今、何の気なしに「紫煙」という字句を使ったが、その昔は情緒のあった言葉も禁煙旋風が吹き荒れるご時世ではもう死語であろうな。とにかくお客さんは店内禁煙に涙ぐましき?協力をしてくれてんである。そしてアタシだが、アタシだってお客さんに禁煙を強いてる立場上、フロントではやはり涙ぐましき?だねえ。であるから住まいへ戻るとその反動でスパスパのスパッになっちゃう。これがまたウマイんだよなあ。こんなウマイもん止められるか

 ……ダメだねえ、アンタ、行く末は肺ガンだよ。

 今日の夕刊に「喫煙率下げ 数値目標」の見出しとともに「厚生労働省は17日、たばこの喫煙率を減らすため、2010度までに達成する数値目標を決めることにした」の記事が大きく出ていた。それによれば現在の喫煙率男43% 25〜30%、女12% 5〜10%が目標だとか。国家総動員で禁煙運動が展開されるんだ。そのうち愛煙家が世間の「害人」になっちゃうな。

「タバコは動くアクセサリー」な〜んて言ってた時代もあったんだよねえ。

2006年10月15日

物忘れがねえ

 毎日見えるご老体。今日は入ってくるなりカウンターへ五百円硬貨をズラッと出された。

「何ですか?、両替?」

「いや、あれよあれ、エ〜ト……」

 アタシャご老体の次の言葉を待った。ご老体、手でご自分の頭をポンポンと叩き思い出す仕草をした。そこでアタシがご質問。

「え−と4千円あるから入浴券ですかな?」

「そッそうそれだ。券ッ、券を10枚頂戴!」

ご老体、やっと思い出されましたな。

 入浴券は十枚単位で4千円、つまり前金にはなるものの300円の割引になっているから利用率が以前より格段に多くなり、3割超になっているようだ。

 ご老体が頭をかきながら言う。

「この頃はもう忘れっぽくてしょうがないんだ。この前なんか入れ歯がないんで引き出しなんかをごちゃごちゃ捜していたらバアさんが言うんだ。アンタ鏡で自分の顔を見てごらんてね。何のこたあない口ん中に入れ歯はちゃんと入ってんだよね。もうダメだねえ」。

 ダメだねえ、とボヤキながらもこの方はご自分の「老い」を楽しんでいるような感じでもある。まことに明るい方なんである。

 近年、「もうボケちゃって……」というセリフはまことに多い。敬老入浴デーになると、下駄箱の札がない、ロッカーのカギが見当らないなど日常茶飯事的でもある。皆さん一様に「ボケちゃったなあ」とボヤかれる。この傾向は60代の人からも聞こえてくる。アタシもご多分の漏れずこのセリフを言うクチである。

 ちょっと古い話になるが週間文春の連載に「人生は五十一から・小林信彦」にこんなことが書かれてあった。

「六十を過ぎるといろいろ具合の悪いことがおこる。ちょっとした用件を葉書に書くのが億劫になる。電話一本かけるのもめんどくさい。これらはすべて老化のせいである。固有名詞が出ないのも困る……」。

 そうなんだよなあ、老化は何をやるにも億劫になる。気持も体も動かない。

 そのくせ酒飲んだり旨いものを食ったりするのはちっとも億劫にならないから妙だよ。物忘れで最も多いのはやはり人の名前だな。先日もテレビに出ていた

 有名な芸能人の名前が出てこない。家人に教えてもらったが、そん時「思い出すまで考えればいいのよ」と軽くあしらわれてしまった。

 けどなあ、思い出すまで考えろったって、芸人の名前を思い出すのに仕事の手を休めて眉間にシワ寄せロダンを決め込んでもハジマランよなあ。

 しかしね、これも古いことなんだが「ひとことで言う・山本夏彦箴言集」にこうも書かれていたんだ。「年を取れば物忘れの類は当然多くなる。だが度忘れ・物忘れなどほとんど大したとがないものなんだ。そんなことは無理して考えることはない。うっちゃっておけがすぐ思い出すものである……」

確かにそうなんだよなあ。誰だったんだろ、誰だったっけとリキんでもなかなか思い浮かばない。しょうがねえやと考えることを止めるとあら不思議スッと思い出すんだよねえ。夏彦センセの言うとおりなんだ。

 けどねえ、とまたボヤクことになるんだが、実際に物忘れが進むってえ状態はホントにセツナイ話んなんですよね。この前も夕飯時にねえ、アタシはいつも軽く一杯半のメシを食うんだけど、ちょいと食が進んで「オレ、お替わりしたっけ?」と聞いたんだ。「そうニ杯目よ」。その後、哀れむように言われたんだ「そのうちメシ食ったことも忘れちゃうんじゃないの」ってね。ホントセツナイ話さ。

 人間ってさあ、いくら気持ちを若く持っているつもりでも心技体の衰えはさ避けられない、確実にやってくるんだよなあ。このまま月日とともに進行する「老い」にさい悩まされていくんだよねえ。ああヤだねえ、人生の悲哀を感じるぜ。そういえば往年のスター鶴田浩二が低音で歌っていたっけ。

♪ この世は悲哀の海だもの 泣いちゃいけない男だよ ♪ 関係ねえか−−。

2006年10月14日

ウナギは旨いねえ

 脱衣場から「いつもラーメンライスじゃなあ」という声が聞こえてきた。話の前段は分からない、が、何やら食い物の話のようだ。続いてウナギがどうのこうのといったことが聞こえてくる。もちろん男湯である。女性の方は総じて外食の話は上品である。ラーメンライスに大盛りや食い放題の食べ物は出てこないようだ。本来は安くて量が多くて……ということは当然好きなんであろうが女性の品位に係わるんでしょうかな、口の端にのせようとはしないようだ。

 この辺、下町のおばちゃんらしくないなとアタシは思う。普段はいたってざっくばらんなのにねえ。

 先日もこんなことがあった。「このあたりには美味しいものを食べさせるお店がないわねえ」というからアタシャ「ラーメンでもウナギでもお鮨屋でもいくらだってあるじゃない」といったら、「でも美味しい所がないのよねえ」ときたんだ。気取ってるなあ、と思う前に女性ってそんなもんなんだとわきまえなきゃいけないんですな。

 さて話が脱線しちゃったが男湯の食い物に戻ろう。ウナギがどうのこうのっていうことだったな。アタシャ、脱衣場の整理かたがたその会話にちょっと参入した。

「随分ウマソーな話しをしてんねえ」

「ウナギのこと?。ウンたまにはラーメンや大盛りのどんぶりばっかり食ってないで、ウナギでも食いたいねえ、と話していたのよ」

「ほんとだよな。ラーメンに定食丼で仕事ばっかりキツかったらねえ」

 説明が遅れたが、60前後の常連さんの会話である。お二人とも普段からなかなか饒舌でシャレっ気の多い方でもあるんだ。

「ウナギねえ。確かにウナギは旨いよなあ」

 これはアタシ。アタシャ、ウナギが大好物である。食い物で一番好きなものは?って聞かれたらちゅうちょなくウナギ!と答える。もっとも風呂屋のオヤジが「好きなものはフォアグラにキャビアです」な〜んて言ったら、オヤジ正気か!と笑われちゃいますがね。

 と、お客さんがまた言った。

「ウナギならお風呂ン中にいっぱい泳いでるじゃない。ねえオヤジさん?」

 ウッホッ、話が急転回しましたな。

「風呂のウナギ?、ウナギは少ないよ、ドジョウばっかりじゃないの」。

 アタシの品のない表現にお客さん大口を開けて笑ったな。

「オヤジさんは長年ウナギやドジョウを見てっからスゴイ人もいるんだろうねえ」。そうだなあ……アタシャちょいと返事の言葉を探した。そして言った。

「昔ね、こんな話があったんだけど知ってるかな。お客さんがね並んで腰掛けを使って体を洗っていたんだってさ。そんとき上手のお客が熱いお湯を流したら下手に座っていた人がアッチッチて股ぐらを押さえて飛び上がったんだってさ。腰掛けに座っていてだよ……」

「ウッハッ、スゲエ」大口をさらに大きく明けて大笑いだ。周囲のお客さんもつられて笑っていたっけ。

 アタシね、品性を重んじる風呂屋のオヤジとしては(ウソつけッ)いささかガラが悪かったなと思ったが、まあこの際いいだろう。

 そして、くだんのお客さんが帰り際、フロントで言われたんだ。

「愉快な話しを聞かせてもらって面白かったよ」

「いや、クダラナイ話しをしちゃったなあ」

「いやいやオヤジさん、そんなことはないよ。俺はこういう話しが好きだねえ。だってさ、仕事のグチや人の噂、悪口なんかよりはるかにいいもん」

 ウン、そうですなあ。アタシの話はくだらなかったけど、確かに人様のことをあれこれ言う風潮が強いご時世だけに、肩の凝らない話題を笑い声で包んで話すっていうのはアタシも好きですなあ。人様の噂話はほめることがまず少ないから聞いていてもセツナイし暗くなる。脱衣場の会話は明るい話がなんたって一番ですよ。ほんと、お客さんの言うとおりですな。

 お客さんさァ、今度一緒にウナギを食いにいきましょうや。アタシ、うまい店を知ってんですわ。大盛りじゃあないけどね−−。

2006年10月13日

プロ野球の名監督は

 テレビを見ながらかな、脱衣場から中年男性の会話が聞こえてきた。

「日本シリーズは日ハムと中日かあ。北海道と名古屋になったんだよなあ」

「それにしても今年の巨人はザマがなかったなあ。シーズン半ばからもう消化試合になっちゃったんだもんねえ」

「原はだめだねえ。来年優勝できなかったらクビだろうなあ」

「大体ジャイアンツにはいい監督が出てこないよ。去年の堀内もダメだったしねえ。ジャイアンツの名監督っていったら誰がいたんだろ?」

「まあ水原に川上ぐらいなもんかなあ。長島、王も今いちだったしねえ」

 不甲斐なかった巨人軍にG党の恨み節は原監督批判になり、巨人軍の監督論にも及びましたな。水原、川上が出てくるんですからかなりのオールドファンなんですね。ここでお二人の話が聞こえなくなった。風呂へ入られたようだ。

 巨人の名監督は誰だろう−−。お二人の会話から、アタシもフロントのつれづれに「プロ野球が生んだ名将は」と考えてみた。ヒマなもんでね。

 アタシャ以前、何かで書かせてもらったことがあるんだけど、日本のプロ野球が生んだ名監督は三原修だと思ってんだ。これは子供の時からである。

 そこでなぜ「三原か」ということになるんだけど、野球少年の頃、友達の親がプロ野球創設以前の野球雑誌「野球界」を持っていて、アタシはそれを借りて六大学が野球界の看板だった時代に早慶の三原や水原なんかの名前を知ったんだよね。そん時に慶応の花形だった水原よりやや地味でもあった早稲田の三原になんとなく惹かれていたんだ。

 そんな三原が戦後の巨人軍の初代監督になり初優勝をもたらせたんだが、その後水原に優勝監督でありながら監督の座を追われ、2リーグになったプロ野球で田舎球団といわれた九州の西鉄へ赴き、大下、中西、豊田、稲尾などのサムライ軍団を作り上げて日本シリーズで巨人を三連破し、さらにセ・リーグに戻って万年最下位だった大洋を日本一に押し上げるなどの破天荒な実績を残したんだ。スゴかったなあ。アタシがプロ野球に最も熱狂した時代だった。

 とまあクドクドと三原礼賛を語っちゃったけど、三原修をプロ野球随一の名監督である、という強力なお方がもう一人いるんだ。それはね往年の大選手でジャジャ馬こと青田昇なんですよ。豪放磊落な性格でアタシは大好きな選手だったんだが、その青田さんが現役を引退して評論家活動をしていた1994年に「サムライ達のプロ野球」という本を出したんですな。その中に「日本のナンバーワン監督は三原修だ!」という一項があるんですよ。それをここで大ざっぱに引用させてもらい、アタシの三原礼賛の応援をしてもらいます。

「日本のプロ野球は六十年の歴史の中で多くの名監督、大監督を生んできた。戦前、巨人の第一期黄金時代をつくった藤本定義。戦後、南海を優勝11回の一流チームに育て上げた鶴岡一人。巨人第二期黄金時代をつくり東映でも日本一を達成した水原茂。巨人第三期黄金時代をつくりV9の偉業を成し遂げた川上哲治。大毎・阪急・近鉄でそれぞれ優勝をした西本幸雄。ヤクルト・西武で日本一3回の広岡達朗。西武で日本一6回の森祗昌などなどが挙げられる。だが、その名監督中のナンバーワンは誰かということになれば、僕はちゅうちょなく「三原修が一番だ」と断言してはばからない……監督には二通りのタイプがある。勝つのがうまい監督と育てるのがうまい監督だが、三原の場合、この「勝つ」と「育てる」の両方が超一流なのだ」

三原修の名監督たるゆえんをもっと詳しく書いてあるんだが、紙数の都合でとても書き切れないのが残念だ。しかしその断片だけでも名将・三原がお分りいただけたでしょう。

 近年、70年の歴史を持つプロ野球でも、歴史の浅いサッカー界のように外人監督が成功していますなあ。昨年のロッテ・バレンタインに今年は日ハムのヒルマンですか。その上日本のスター選手がどんどん海を渡っていっちゃう。

 これではいつまでたっても日本の野球はアメリカのマイナーですよ。原監督さあ、来シーズンはど〜んと頑張って「日本人監督ここにあり」の気概を見せなくっちゃねえ。そして脱衣場のお客さんを満足させてやってよ。日本プロ野球の盟主を任ずる断トツの人気球団が、またまた低迷するようだったら日本の野球界は完全にオカシクなっちゃいますぜ。いやホントに−−。

2006年10月11日

お年を召すとねえ

 いつも高齢者の様態を書かせてもらうが、今日もその一つ。何せ世はあげて高齢化時代であり、銭湯のお客さんもかっての壮年者がいつの間にかジイちゃん・バアちゃんに変身?しちゃっている。そういう当方もご多分に漏れないんだがね。そこでまたまた高齢者ア・ラ・カ・ル・ト?という次第。

 開店と同時にお見えになったおばちゃん。80を超したというがどうして元気である。まずはアタシのご挨拶から。

「今日はなんとなく蒸し暑い感じですねえ」に「何?…」と聞き返された。

「蒸し暑いですよね」

「エッ?」

「ム・シ・ア・ツ・イですよねッ」

 やっと通じたな。ところがおばちゃんの返事が「あっソウデゴザイマスカッ」と切り返されるような言葉である。ウーン、どうやらアタシの言葉が聞こえないの?といったニュアンスで取られてしまったな。おばちゃんのプライドを傷付けてしまったようだ。マズかったな。

 そして、である。湯上がりの帰り際に自動ドアーの前で表を見ながらつぶやくように言われたんだ。「何か雨が降りそうだねえ」と。しかしアタシにゃちょいと聞き難かった。で「ハア?」となっちゃったんだが、おばちゃん、そらみろ!、と言わんばかりに「アメガフリソウダッっていうの」

 フン、お前さんだって耳が悪いじゃないか……という様子だ。完全にお返しを頂いちゃったな。アタシの負けだ。それにしても気の強いおばちゃんだよ。

 続いてはやはり80のおばちゃん。もうン十年の常連中の常連さんという方である。明るく元気なおばちゃんなんだが近年ちょっと弱られた感じがしないでもない。お見えになるとまずはフロント前の小机に湯道具の入った袋を置きやおら入浴券を出そうとなさる。ところがなかなか見付からない。エ〜トここに入れたんだけどなあとゴソゴソである。

「確かに入れてきたんだけど……」

「券なんていつでもいいですよ」

「アッあったあ」と、これがほとんど毎日のパターンである。そして今日はもう一つ会話が入った。

「今日はいつもより早いんじゃないの?」

「そッ、うちの者がさあ、どうせヒマなんだから早いうちにお風呂へ行ってきなっていうのよ」

 この方、自営業でメリヤス関係のお仕事をなさっているんだが、近年はもうご隠居さんという立場のようである。

「前だったらさあ、早めにお風呂へ行こうとしても、もう少し仕事をやってからにしなッ、なんて言っていたのに何だか邪魔者みたいでヤんなっちゃうわ」

 とボヤキのセリフなんだが、この人にはボヤイテいる雰囲気はまったく感じられない。むしろ屈託のない楽しささえ聞こえてくる。人柄ですかなあ。それとともに、おばちゃんの家庭の明るさも垣間見えるようである。

 80半ばの常連ご老体が悠然とお見えになった。長いアゴひげをたくわえ、痩身にハンチングをかぶりツイードの上衣などを着てくる姿はいまだにダンデイでもある。

 この方、学生時代はM大の野球部にいたこともあって、以前はよくアタシと野球談義をしていたんだが、近年はアタシのほうから野球の話を振ってみてもほとんど興味を示さなくなった。

 フロントへ来るとカウンターに小銭入れから硬貨をバラバラッと出される。

「風呂銭はいくらだったっけ?」が来るたびのご挨拶である。そして小銭入れから小さなメモ用紙を取り出し「エ〜ト430円か……」。このメモ、いつも入浴料を聞かれるんで、うちの者が「大人430円」と書いて渡しておいたんだ。そして、またそしてとなるが、カウンターの小銭をアタシが430円を選び出す。「10円玉が…で50円玉が…で100円が…で430円!」。ご老体、悠然と「そっか、それで完了!」のご返事である。別に悪びれたり恥ずかしそうにすることもない。飄飄(ひょうひょう)たるもんだ。大人(たいじん)の風格さえ感じさせる。

 アタシャ「矍鑠(かくしゃく)=老い手も丈夫で元気なさま)の言葉が好きでよく 使わせてもらうが、銭湯の高齢者はまさに皆さんカクシャクたるもんです。

2006年10月10日

キャンパス・スコープが届いた

「ホウ、出ましたな!」 

 読売の朝刊をパラパラとめくっていてちょいと目が止まった。「学生が編集、キャンパス・スコープ」の見出しで、「−−大学生が学生の垣根を超えて編集したインターカレッジ新聞、『キャンパス・スコープ』の2006年秋号(12ページ、オールカラー)が発行された。40人の学生記者がファッション誌で人気の読者モデルから地方テレビ局の人気情報番組までさまざまな話題を追い、幅広い年齢層の読者が楽しめる新聞になっている……同紙は全国約700の大学、短大、公共機関などを通じて12万部を配布している」。という記事になんだ。

 実はアタシね、先月この「キャンパス・スコープ」の取材を受けていたんですな。で、10月発刊ということで待っていたんだすわ。そしたら今日朝刊で発行を知ったっていうことなんです。そして後刻うちにも新聞が届いたんですがそれもドサッと50部もね。読売新聞の広報部が「お客さんにも読んでもらってください」というんですな。で、脱衣場にも置いたんですよ。

 取材の時の様子は以前ブログに書かせてもらったんだが、もう一回簡単におさらいしてみると、二人の大学生記者さんがやってきて、メモを取ったり写真を撮ったりときびきび動いていたなあ。何しろ「学生さんが銭湯ニュースを若者に発信する」っていうんだからアタシャ大歓迎よ。ベラベラとよう喋っちゃったよ。

 ということで記事に参ります。12ページの7面に大きく載っていたなあ。

「銭湯。広い浴槽、壁には富士山。安らぎの異空間へ」の見出しとともに写真も2枚添えられてあった。カラーで浴槽に入って湯を楽しんでいるお客さんの姿や、エッ、女湯か?だって?、オイオイ、あんたヘンな目つきで聞いてきたけど、女湯なんて間違っても写せますかいな。男湯でご老体とお孫さんや中年の方達が「いい湯だなあ」といったホノボノとした風景ですがな。それともう一枚は「入り口のノレンの下でお風呂に見えたおばちゃんの写真だが、学生さんがデジカメっていうの?、あれでもってパチパチとよう撮っていましたなあ。

「そんなに何枚も撮んなきゃいけねえの」というアタシの言葉に「中途半端な写真だとみ〜んなボツになっちゃうんですよ」と言っていただけに、いい写真でしたよ。そして記事だけど−−。

「……銭湯は相撲や歌舞伎と並んで、江戸時代以来、三大庶民文化とされてきた。だが各家庭に風呂が普及したことなどから利用者は減り続け……と浴場の変遷から入り、アタシの定番ともいえる「銭湯、元気で頑張ってまっせ……」っていう話が載っている。さらに銭湯研究の第一人者といわれる町田忍さんの談話が続いている。

「28年に渡って全国の銭湯約2800軒を訪ね歩き、銭湯の魅力を分析している。『自家風呂と比べたら満足度の高さ』。これが町田さんの行き着いた銭湯の魅力だ」と書き、銭湯は世界に誇れる日本の文化であり、今では少なくなった地域のコミュニケーションの場である−−と結んでいたね。

 アタシャ一読して、よく書いてくれてるが一般紙の記者さんとあまり変わらねえ視点だったな、とちょっぴり思ったんだ。アタシね若者が銭湯をどう視てどんなメッセージを発信してくれるかと「若者の銭湯観」を聞きたかったんだけど、銭湯を知らない世代が銭湯応援歌を書いてくれたんだから、これで十分なんだろうなあ。欲張っちゃいけない、むしろ感謝しなけりゃいけないよね。

 さて脱衣場の反応である。50部の大半を男・女湯に置き、お客さんにPRこれ努めたせいか程々お持ちになってくれましたなあ。

 先刻の入口前で写っていたおばちゃんは「記念になるわあ」と嬉しそうに言ってましたし、湯船のお客さんは「ホウ、いい写真だ。うちの者にもぜひ見せたい」と貴重品のような感じで持ち帰りましたっけねえ。

 そして80のご老体が新聞を手にフロントで言うんですな。「俺も新聞の写真を撮ったときにいたんだけど、写ってないんだよなあ」と残念そうに言われたんだよね。ウーン、おじちゃんゴメンね−−。

2006年10月07日

銭湯にはエッセイストもいるんです

 まずは一週間前のことから−−。

「うちの風呂は小さくてどうも入った気がしないんだよなあ」と言いながらお見えになったのは77才だというダンナ。あまりお話をしたことがなかった方なんだが、今日はダンナの「うちの風呂は……」のご挨拶でアタシが定番のフレーズである「今の銭湯は体を洗うだけではなく湯を楽しむ場所なんです…」のセリフを繰り出したんでちょいと話が進んだ。

「そうね、大きなお風呂はいいもんなあ。あたしの大学時代の友人に横浜で銭湯をやってる男がいるんだ。お風呂屋さんも昔は大変だったんだよねえ。大きな車を引っ張って燃料集めをやったりしていたんだよね」

「そうですねえ。もう精一杯動いたもんです。しかし当時は世間がみんな働いていましたからねえ」といったことから「アタシの書いた『湯屋番五十年銭湯その世界』っていう風呂屋のオヤジの綴り方みたいな本があるんですけど、その本に昔の銭湯の様子をゴチャゴチャ書いたんですが、もしよかったら読んで見てください」

「えっ、アンタが書いた本?。ホウ、そりゃあぜひ見せてください」と一冊目に出した「風呂屋のオヤジの番台日記」ともどもお持ちなったんである。

 そして今度は3日前のことである−−。

 入浴かたがた本をお返しになられたんだが、「これを読んでみて…」とA3程の用紙に手書きによる文集様なものを差し出されたんだ。この方が書いたらしく「墨東だより」と題して様々な事柄が記述されている。そこで後刻じっくり読ませてもらったんだが、身辺雑記から映画のこと本の話、想い出、世相風刺に伝統工芸、はては落語、漫画などなどなど、あらゆるジャンルについてのエッセイ集であり、写真やイラストも入ったすごい労作なんですねえ。

 アタシャ「よくぞここまで……」と感じ入りながら拝見しましたよ。30枚以上の用紙にそれぞれタイトルをつけて書いてあるんですが、紙面の都合上ほんの一部のそのまた一部を、それも簡単にご紹介しますと−−。

◎「平成の芸者踊りに捧げる挽歌」=私の親父はなかなかの遊び人でして、その道楽の一つに、オフクロの三味線に合わせて義大夫や清元をうなるというのがありました。しかしそれを家でやるというのではなくて、浅草の「一直」と「司」(ニ軒共健在)や尾久の「深水」(現在廃業)といった花街の料亭で芸者衆と一緒にやらかすのです。それはそれでご両人の趣味ですからどうぞご勝手に…ですが何とその都度、学生の私をその宴席にはべらかすという、堅気の家庭にアルマジキ常識外れのファミリーだったのです……。

◎「喜寿男の独白(オジンのセリフ)=9月15日の夕飯どきに突然50代の小母さんが現れ「お目出度うございます。数え年での喜寿のお祝いで−す」と樋口一葉のお札が入ったのし袋を置いていった。国から現金を貰うのは初めてだが、断る理由もないし、これで缶ビール1ケースは買えるなとポケットに入れたという訳だ。だけど勝手に生き永らえた老人に税金から現金をバラ巻くのは少し爺婆に過保護ではないかなとも俺は考えたのだ……

 タイトルに永井東風、森翁外などなどの字名を使ってシャレのめしてあり、粋で遊び心横溢ともいえる文章なんですなあ。そして達筆なんですよ。茶碗に山盛りのご飯を箸のひとつまみ程しか引用できなくてまことに残念ですがね。

 そして今日。アタシャお聞きしてみたんだ。

「粋でシャレた文章ですが、どこかに発表されてるんですか?」

「いや、あたしが気ままに書いて知り合いに送っているんで、いうなればまだまだ元気でやっているよ、というメッセージを仲間に発信してんですよ」

 ウーンそうですかあ。それにしてもすばらしいエッセイ集だなあ。

 銭湯にはエッセイストもお見えになるんだ−−。

2006年10月05日

パチンコはねえ

 買物袋をぶらさげてヨッタンヨッタンとした足取りでお見えになったおばちゃん(ゴメンネ、いきなり失敬な表現をしちゃって)。「あたしこの前、区から77才の記念品をもらったのよ。年取ったのに喜んでいいのかねえ……」とおっしゃっていたから喜寿のおばちゃんですな。このおばちゃん、今日は入ってくるなり「あ〜あ疲れた」とフロント前の椅子にヨッコラッショと腰をおろされた。いかにも疲れた様子である。

「どうしたんです、歩き疲れたんですか?」

「そうじゃないの。今日ね上野へ行ったのよ。そしたらさあオープンって書いてあったパチンコ屋があったからちょっと入ってパチンコやってきたの」

 おばちゃん、右手をちょいと回してパチンコの仕草をみせた。

「そしたらさあ、ど〜んどん出てくんのよ。オープンっていうのはどんどん出すのよね。周りの人もいっぱい出してんの。そいでね、夢中になってン時間もやっちゃったから疲れちゃったあ」

「そう。だけど儲かったんだから疲れも飛んじゃうんじゃないの?」

「でもさあ、人間って欲張りだからついつい頑張っちゃうの。あ〜あ」

 首をグルグル回し、腕を振ってもう一回、あ〜あツカレタ−−。

「おばちゃんはパチンコが前から好きだったの?」

「そッ、若いときからパチンコキ××イだったのよ。青森から出てきて草津温泉に親戚があったんでそこに働いていた頃だから20代よ。給料のほとんどをパチンコに注ぎ込んじゃってさあ……。

「そんなに古くからなの。じゃ当時は手で弾く台でしたね」

「そッ、一発一発玉を入れて弾いてさあ」

 おばちゃん、今度はパチンコの台に玉を入れて弾く格好をした。

 この人の話しは手がよく動くから面白い。そしてアタシに聞いてきた。

「ダンナさんはパチンコ、やるの?」

「いやッ、アタシはパチンコって全然やったことがないんだ。若い頃はマージャンに玉突きや競馬なんかに凝った時期があったけどねえ」

「そう、あたしは競馬もよくやったのよ。それと花札ね」

 オッホッ、競馬に花札もやったんですかあ−−。

「うちの父親がバクチ好きでねぇ。よく花札の相手をされられたのよ」

 で、花札をめくる手つきをなさる。ホウ、コイコイですな。いやオイチョカブかな。でもね、おばちゃんが座布団を間にして「ソラッ、もう一丁コイコイッ!」な〜んてやってる姿を想像するとなんとなく愉快な感じですなあ。

 このおばちゃんねえ、白髪をひっつめ髪にして、度の強イメガネを掛けていなさるんだ。またまた失礼千万なことを言っちゃうけど、そこらでよく見かける萎びたおばちゃん(ゴメンね)といった雰囲気なんですなあ。そしてね独り住まいでギャンブル以外はまことにきちんと計算した生活を立てているんですな。例えば、入浴券を購入されてお風呂に見えるんだが、その入浴券を買い求められるとき「今月は後ン回は入るから10枚買うと今月一杯は持つな」から近所の商店街で買い物をした時も「ここの商店で○○を買ってきたけど、うちの近くよりン円安いからお菜が一品浮く勘定になるねえ」などといたって堅実な生活設計なんですなあ。

 ところがねえ、若かりし頃は、東映映画で一時代を作った藤純子の「緋牡丹お龍」(古いねえ)もかくやという、草津から江戸を渡りあるいたさすらいのギャンブラーだったんですからねえ。

 ハア?、ちょっと仰々しいよですって?。まあこの際、いいじゃないですか。

 何にしても銭湯には楽しいお客さんが多いんですな。おばちゃん、ゆっくり風呂に入って明日のパチンコへのエネルギーを貯えてね−−。

2006年10月04日

ハンカチ王子、国体でも優勝

 6時、テレビは兵庫国体の高校野球で早実優勝のニュースを報じている。そこへ入ってきた60程の常連男性。風呂代を払う前にいきなり聞いてきた。

「早実、どうした?仕事で見られなかったんで」

「うん、1−0で勝ったよ」

「勝ったッ、1−0ねえ。完封かァ、スゴイなァ斎藤は……」

 感嘆したような口調である。そして言う。

「今の高校野球では斎藤と田中は抜けた存在なんだなあ。甲子園に続いて田中に投げ勝ったのかあスゴイねえ」

 スゴイを繰り返された。感服しました、というところだな。

 テレビは優勝投手・斎藤にインタビューしている。「高校生活の最後を優勝で飾れてうれしいです……」と表情も変えず淡々と答えている。くだんのお客さんがまた言う。「斎藤はいつも爽やかでいいよなあ。若者はこうでなくっちゃ」、さらに言う「斎藤の爽やかさに比べてボクシングの亀田の態度はなんだい。あれが同じ18才なんだからねえ。オヤジさんは亀田をどう思う?」

オッホッ、話が急展開しましたな。この人ね、サッカーや相撲の話もなさるしスポーツ好きなんですなあ。

「ウーン亀田ねえ。知性・教養の差っていうのかなあ。周囲に作られた人気者とみんなが認めたヒーローの違いかなあ」

「ほんと、親の教育の仕方だよ。亀田の親父を見てると野蛮で品のない顔に見えるもんなあ。あっそうだ、俺はまだお金を払ってなかったんだ。テレビ、脱衣場にも掛かってるよね」と慌てた様子で入浴料を払い、急いで脱衣場に入られた。早実優勝が斎藤と亀田の比較論?になっちゃったな。

 そういえば、亀田興毅とランダエタの再戦が亀田の練習中の負傷で延期となったが、今日のスポーツ新聞は8面あたりに「亀田戦延期で800件電話」の小さい見出しでこんな記事が載っていたな。「……びっくりしたのは同級1位の挑戦者ランダエタだった。試合延期は“寝耳に水”だったようで、すぐにWBA本部に行って確認したい…」と書かれていた。アタシャこの記事を見ていささか驚いたね。延期が報じられたのは数日前なのに対戦相手に連絡がいかなかったなんてねえ。さらに新聞の週刊誌の広告に「亀田父のライセンスを剥奪せよ。10・18ランダエタ戦逃亡、興毅の奇妙な言い訳(元WBA王者・渡嘉敷勝男)」の見出しを見るにつけ、亀田周辺は一体どうなってんだろ?と思っちゃうねえ。

 さてさて、話がヘンな方向へ行っちゃったけど早実・斎藤に戻ろう。

 今度は70のおばちゃんである。毎日のような常連さんであり、熱狂的なG党なんだ。以前は見えると必ず巨人の話をなさったが最近はジャイアンツのジの字もおっしゃらない。落日の大巨人軍には話す気力も無くなったようなんですな。それでも「もう見たくないと思っていてもやっぱり見ちゃうのよねえ」と嘆かれる。好きになったが因果か、不肖の子程かわいいのか−−。

 今日の話題はもちろん斎藤である。「斎藤ってすごいわねえ」と前段の男性のように感嘆された後、「だけどさあ、昨日の準決勝でハンカチを出さないっていったのに9回ツーアウトでポケットから出したなんて役者よねえ」

「それにしても斎藤フィーバーは物凄いですな。決勝で甲子園の再戦だなんてまるで演出したような形になっちゃってメディアは大喜びじゃないのかな」

「そうね、駒苫の田中がプロの楽天で斎藤は早稲田だっていうんでしょ。そして4年後にプロで会おうって言ったんですってさ」

「巨人が今からもう狙ってんじゃないの?」

「そうね、大学を出れば逆指名ができるから巨人に入ってくれればね」

 と、脱衣場へ向かわれたんだが、今日も巨人の話は出なかったな。この頃、テレビの中継も思い出したようにしかやらない。放送があってアタシが掛け忘れていても脱衣場から催促がないし、巨人の話は聞こえてこない。

 だけど今日、ジャイアンツは試合があったのかな−−。

2006年10月02日

ジジイになっちゃいけませんな

 町会から墨田区発行の「高齢者福祉サービスのしおり・たんぽぽ」という冊子が配られてきた。フロントでパラパラとめくってみる。

「たんぽぽ」は希望の春を告げて咲き、綿毛となってどんな場所にも飛んでいき、根をはりたくましく成長してまたその花を咲かせます。その姿はこれまで社会のために働きつづけてくださった高齢者の姿にも似ています。そうした方々に敬意と感謝をこめてこの小冊子に「たんぽぽ」と名付けました。どうぞご愛用ください−−。と要旨が載っている。

 今まで頑張ったジイちゃんバアちゃんが晩年のために活用してね。という老後のマニュアルなんですな。参考になることがたくさん記載されている。ちょっと拾い出してみると−−。

 ◇困りごと、相談のあるときは
 ◇介護保険制度を利用するには
 ◇施設へ入所するには
 ◇ねたきり、認知症の高齢者のために

などなど経費も添えて親切丁寧に案内されている。まさに高齢者には必見のガイドブックだ。

 アタシねえ、この頃とみに「老い」の感覚が強くなってんですな。心技体の衰えが情け無いほど分かるんですわ。だからね、今までだったら「単なる案内書」だとページをめくれたんだけど、ガイドブックの対象者になっちゃった現在は何となく身につまされる感じなんですなあ。

「アンタはもう間違いなくジジイですぞ。この本をよ〜く読んでしっかりと勉強なされよ」と言われてる気もするんですなあ。そう思っちゃうとね、いろいろ考えちゃいますよ。

「介護保険制度は65才以上の方で、認定審査会の結果に基づいて行われる……」「ねたきり、認知症の高齢者の方には紙オムツを支給します……」。

 ウ〜ム、寝たっきりで、家のもんの顔も分からなくなり、ヘルパーさんに付き添われて、オムツをしてねえ……。そんな己の情け無い姿をなんとなく想像しちゃうなあ。ああヤダヤダ、ヤダねったらヤダネ、である。しかし長生きすりゃあいずれ似たような状態にはなるんだよなあ……、と老いの悲哀を感じて?いたところへ常連のご老体が入ってきた。

「何の本を見てんの?。ああそれ、俺も読んだけど、俺は今んところその本の必要はなさそうだな」。

 ホホウ、80代にしてこの元気、スゴイですなあ。それに引き替えアタシャだめだねえ。もっとたくましくならなきゃいけませんぜ風呂屋のオヤジよォ。

 アタシャいつも書かせてもらっているけど、銭湯に見える方は総じて元気なんですよね。60〜70なんて壮年だし80代だって今のおヒトのようにカクシャクたる人が多いんだ。90代の方も何人か見えますしねえ。

 それとね、高齢でも何かやっている人、つまり仕事は勿論ですが、老人会などの地域活動から趣味をもっているような人は言動に活力がありますよ。そこで思うんだけど、生活に張り合いを持つことがすごく大事なんですよねえ。

 ハア?、毎日フロントであくせくしているアンタは生活にハリが無いのかですって?。いえね、ハリは無くはないんですけど、肩が張ったり足腰が張ったり……。オイオイ−−。

 先日、新聞に「高齢者はいくつからか」という記事が載っていましたな。

……日本の65才以上の高齢化率は、今では20.7%になり、平均寿命は半世紀で10才以上延びました。内閣府が60才以上を対象に、高齢者は何歳以上かと聞いたところ「70才以上」が46・7%と最も多く、「65才以上」は14%でした……。なんですって。とすりゃあアタシなんかまだ高齢者のとば口に入ったばかりじゃねえか。しかしねえ、物忘れも多いしやることがカッタルクなってもいるんだよなあ。で、またまた暗くなっちゃうんだ。

 オレ、認知症のとば口にも立ってるんじゃないか−−。

2006年10月01日

凱旋門から凱旋できなかったなあ

「今日はディーブインパクトの放送があるんだよなあ」「そうッ。単勝一番人気だってさあ」「勝てるんかねえ」「ウン、勝つんじゃないの」

 開店早々の脱衣場である。日本の競馬はそっちのけでフランスの凱旋門賞に出走するディーブインパクトに話題が集まっている。

 さらに仕舞い間際に入ってきた近所の飲み屋のおやじさん。「これからインパクトを見ようと思ってんだ。眠いけど我慢してさあ」

 日本の最強馬が仏・凱旋門賞に挑戦するっていうんで脱衣場でも程々の人気である。NHKが夜の12時から実況するという。オレも見ようっと−−。

 アタシね、ここんところ競馬から離れっちまったけど、かっては熱狂的な競馬ファン、いや馬券マニアだったんですな。もう週末は仕事もそこそこに馬券場通いだったねえ。今からン十年も前になるけど、いい若いモンが馬券にうつつを抜かしているなんていやあ、世間は白い目でみられたご時世だったねえ。

 馬券を本格的に?始めたのは、何年頃だろうか。マーチス・タケシバオー・アサカオーの3強時代からだったなあ。もう古いことはほとんど忘れっちまったけど、それでもスピードシンボリ、メジロムサシ、シンボリルドルフからミスターシービー、ハイセイコーなどなどが思い出されるよ。騎手も保田、野平加賀、郷原、増沢などのスタージョッキーが活躍していたねえ。

 というようなオールドファンで現在の競馬はほとんど知らないんアタシなんだけどデーブインパクトは、その名のとおりインパクトがあって何となく興味をもっていたんですなあ。

 さて12時だ、お客さんがいなくなった。後始末を済ませてささやかな晩酌とともにテレビをスイッチオン。ロンシャン競馬場のパドックが写っていた。

 日本人の応援が5000人もフランスへ押しかけたってんだからスゴイねえ。

 それにしても近年の日本人はテレビがワイワイやると我も我もとそっちへなびくんだよなあ。兵庫国体であの早実・斎藤の登場で野球場に3000人以上の徹夜組が押しかけたっていうんだからタマゲタもんだ。

 12時40分、さあスタートだ。インパクトは1枠。出足は悪くない。しかしこれがよくなかった…と思ったよ。なぜかって?、だってね、内枠で好スタートを切ったがゆえに先行しちゃったんだよな。インパクトは後方強襲が持ち味じゃなかったのか。アタシャ見ていて「武豊は安全策をとったのか。大レースで慎重に乗ってんな」とも思ったね。そして直線、早めに先頭に立った。これもアタシには「大事に大事にいってんな」である。

 ところが慎重と大事が?裏目に出た。ゴール30mでまず一頭に交わされ後5mではもう一頭にも交わされてしまった。あ〜あ連勝にも絡まない3着だよ。

 レース前「やるだけのことは全てやった」という池江調教師に「ディーブインパクトでだめなら日本の競馬関係者ががっかりしてしまう」と言った武豊の言葉がまさに空しいものになってしまった。後方一気の馬が先行差しで自滅したのか。名手・武豊でも凱旋門賞は格別なレースだったんだなあ。悔いが残っただろうねえ。何にしても残念な結果で終わってしまったよ。

 あれッ、いつの間にか酒のグラスが空になっていやがる。もう適量を飲んじゃったのか。インパクトが苦戦したせいか?、いつもよりピッチが早かったようだ。レースが終わったら酔いが回ってきたよ。今夜の酒はオレちょっと先行し過ぎたかな−−。






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