風呂屋のオヤジの番台ブログ

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2006年03月30日

子供のころは

 夜8時、脱衣場のテレピが「帰ってきた昭和の名曲−−」とかいう番組をやっている。そこへ湯上がりで出てきた六十年配の常連男性氏。

「昔の歌はいいねえ。おれ、カラオケヘ行くともう古い歌専門なんだ。ところでオヤジさんもカラ才ケはやるの?」

「カラ才ケ? あんまりやんねえなあ。酔っぱらった時に弾みで唄う程度かな。大体今の歌なんか全然わからんもん」

「そう、じゃどんな歌が好さなの?」

「ウン、唄うときはもつぱら軍歌よ」

「軍歌? ああ、♪今日ォも暮れ行ゥく異国の丘アに〜♪ってやつだね」

「いんや、あれは『異国の丘』っていう終戦後にはやった歌で、オレんのは加藤隼戦闘隊とかラバウル航空隊なんて戦時中にはやった歌よ」

「加藤ハヤブサ……? それどんな歌なの?」

「ウン、♪エンジンのォ音ォ轟ォ轟ォとハヤプサは行ゥくう雲ォの〜果〜て」

 ときならぬ軍歌談義になっちゃった。しかしこれねえ、ほかのお客さんが聞いたらオイオイ、オヤジ正気かよと言われちゃうだろうな。何せ、いい年こいた風呂屋のおとっちゃんがフロントで軍歌を小声とはいいながらも唸ってんだもんな。

 アタシね、子供のころは熱烈な軍国少年だったんだ。当時の少年の大半がそうだったんだけど、第二次世界大戦の始まった時が7才で、早く大きくなって軍人になるんだと、小学校へ入らないうちからもう軍隊の階級なんか覚えちゃってね。 

 ところが昭和二十年八月十五日にわが大日本帝国はアメリカに無条件降伏しちやったじゃない。軍国少年は残念無念だったなあ。しかし、軍歌っていうやつは敗戦になっても好きだったんだ。国敗れて軍歌ありさ。ちょっとヘンだな。

 今度、草隆社から「湯屋番五十年・銭湯その世界」という本が出版される予定なんだけど、そこにもアタシの小僧時代の軍国少年ぶりを書き込んでいるんだ。もし興味がおありでしたら、ぜひお読みになってください。

 それにしても泰平きわまる平成の御代に風呂屋のフロントで軍歌斉唱とはねえ。先刻の六十代男性氏が言ったよ。「おれも古いと思ったけど、親父さんの古さは格別だねえ」。ウン、オレもそう思う−−。

2006年03月29日

オロナミンC

 もう70半ばかな。最近ちょいちょいお見えになってくれるおばちゃん、来る度に「銭湯はいいねえ。うちの風呂はどうも温まんなくて」と必ずおっしゃる。それもつぶやくようにである。アタシの気持ちをくすぐるセリフである。

 このおばちゃん、湯上がりによくフロント前の冷蔵庫からオロナミンCを求め、おいしそうに一気に飲んでしまう。今日もそのデン。そして飲み終わるや「もう一本頂戴ー。友達にあげるの」と言い、また一本取って脱衣場へ戻った。

 ところが、脱衣場で渡そうとした相手と何やら押し問答をしているような気配がフロントヘも伝わってきた。

 そしてまた出てきたんだが、口をとんがらして言う。アタシにではなく独り言のようにである。「せっかくあげようと思ったのに、そんなもの飲まないからって言うんだもん。飲まなくったってもう買っちったんだからしょうがないって無理に押しつけてきたけど、スンナリもらってくれればいいのにさあ。ヘンに遠慮してんだから……」

 なるほど−−。しかしおばちゃんねえ、そのヒトはもらったりあげたりがあんまり好きじゃないんでしょ。風呂で親しくなると親愛の情? がわいてきて、物をあげたがる気持ちは分かるけど、もらったヒトは貰いっぱなしというわけにはいかんからお返しの必要性も感じちゃうんでしょうなあ。

 よく酒席で銚子を持って「お一ついかが?」「あ〜らどうも。じゃご返杯!」などとやりますなあ、しかしこれ、酒の弱いヒトにはセツナイ面もあるんですよね。「いえ、あたしは飲めないもんで……」「まあまあ、そんなこと言わずにグゥ〜っとあけて……」といった光景と似たようなもんじゃないですかなあ。

 世の中、十人十色っていうじゃないですか。お客さん同士が風呂で親しくなることはアタシもうれしいんだけど、気前のいいヒト、そうでないヒトといろいろあるんですよねえ。そこでアタシャ、お節介ついでに申し上げるんだけど、浮世の仁義? で物を差し上げる場合は、そうねえ、さりげなく時々にする。相手の負担も考えてね。

 ハア? たかがジュースの一本ぐらいでゴチャゴチャ言うことがないでしょッですって? ウ〜ン、まあそういえばそうだけどさあ−−。

2006年03月28日

七十の手習い

 先日、草隆社から電話が入った。

「うちのホームページに『風呂屋のオヤジの番台ブログ』を載せようと思うので何か書いてほしい」ということである。ホホウ、番台ブログか……風呂屋の宣伝に一役買えるんなら悪くない。さて何を書こうか、どうせアタシの作文だから大したことが書けるわけはないが……とちょっぴり思案していたら今日、再び電話があり、今度は難問が飛びこんできたんだ。

「作業の都合があるので、できれば今までのファックスではなくパソコンのメール送りにしてほしい」ということなんだな。ウーン、文章はともかくパソコンかあ。

 アタシね、メカニズムっていう代物にまったく弱いんだ。何せ今日ビは小学生でも器用に操るケーターイ電話でさえよう扱えねえんだ。ましてやパソコンんかとてもとてもなんだよな。文明文化の発達したご時世に何とも情けない話さ。けどね、そんなアタシでもワープロは必要に迫られて何とか覚えたんだ。

 ワープロの発端はニ十年ぐらい前になるかなあ。組合の世話役をやっていた頃の
話なんだけど、それまでは金釘流ながら手書きで組合資料を書いていたんだ。しかし、当時からもうぼつぼつ周囲の文書がワープロの印刷物になってきたんだよね。

 そこで、いつまでも金釘流を振り回していても時代遅れだ、ヨシッ、オレもワープロに挑戦だ!とリキんだんだ。ところが五十の手習いでボッタンボッタンと雨だれみたいにキーボードを叩いてはみたものの「メンドウクセエなあ、これじゃ手書きのほうが早えや」となっちまった。

 しかし20年前は今よりかなり若かったから(当り前だ)これじゃイカンとワープロに達者な娘をコーチにして特訓また特訓?さ。ま、その甲斐があってか、何とか文章を書けるようにはなったんだ。1010の「風呂屋のオヤジのフロント日記」もそんなワープロで打った原稿をファックスしていたんだがね。

 しかし今度はパソコンかあ。ワープロを覚えてから随分と年を食っちゃったしなあ。で、アタシャ草隆社に「とてもできねえ」とご返事したんだ。ところが編集屋さんはアタシの言葉なんか馬耳東風よ。「大丈夫ですよ、ワープロが打てるんだからちょっと練習すればすぐできますよ。なんならあたしが2〜3日レクチャーしましょうか」ときたぜ。

 ウーン、そうまで言われちゃなあ。じゃ、うちの倅や娘もパソコンを持ってるから、彼等に聞きながら七十の手習いとするか。けどウマクいくだろうか。年寄りの冷水っていう言葉もあるしねえ−−。






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